やがて面会日にピエールの母親、ヴィオレットが学校にやって来た。
美貌のヴィオレットにクレマンは密かな憧れ(慕情)を抱くようになった。音楽の才能豊かなピエールの母親だという意識もあったかもしれない。
クレマンはヴィオレットに、ピエールの音楽の才能を高く評価していることを告げた。リヨンのコンセルヴァトワールに推薦するので、転校させて才能を磨くべきだとアドヴァイスした。
しばらくして、ヴィオレットが近くの町のカフェでクレマンに会いたいと連絡してきた。
憧れのヴィオレットに会えるということでクレマンは喜んで出かけたが、会ってみるとヴィオレットは最近出会ったエンジニアと結婚すると告げた。だが、「結婚相手の男は、ピエールとの同居に気が進まないようなので、コンセルヴァトワールの寄宿舎に入れようと思う」とも言い添えた。
淡い恋――というよりも片思い――に破れたクレマンだったが、ヴィオレットにはピエールの才能を開花させるべく手を打つと約束した。
ところで「池の底」にはパトロンがいた。
学校法人としての「池の底」の運営を監督し運営資金を手当てする理事会があった。理事会は、運営資金を政府に申請し確保することも大事な仕事のひとつだった。
理事会の有力なメンバーで、学校運営資金を寄付してくれる後援者(パトロン)の1人が、近くに城を持つ伯爵夫人だった。運営資金――そのかなりの部分をラシャンは着服しているようだ――の寄付を引き出し、かつまた出世のためのコネを求めるラシャンは、日頃から伯爵夫人の歓心を買うことに腐心していた。
そんな彼女は、どこからかクレマンが指導する合唱団の噂を聞きつけて、合唱団の演奏会を学校で開くようラシャンに要請した。こうして、華々しい演奏会が開催されることになった。
権力者の顔色を窺い尾を振るのが大得意のラシャンは、合唱団を強引に解散させたくせに、伯爵夫人が合唱団の業績を評価すると、手のひらを返し、まるで自分の手柄であるかのように吹聴し、演奏会を開くことにしたのだ。
1960年前半までは、フランスは身分制の秩序を引きずっていた。しかも、19世紀以降の貴族制は、フランス革命後に復活して再編された仕組みだった。フランス革命は、日本人が考えるほどには、貧富の財産上の極端な格差を内容とする身分秩序を変えることはなかったというわけだ。
ともあれ、――恵まれない少年たちの努力を社会に認めさせようとする熱意の塊である――伯爵夫人は影響力にものを言わせて近隣の教育行政機関の幹部やらサロンの仲間を引き連れて、学校に乗り込んできた。
ラシャンから隠れて夜中に練習を積んできた少年たちは、晴れの発表の場で張り切った。見事なコーラスが演奏された。
やがて、ソロのパートになった。ソロからはずされたと思って落ち込んでいたピエール。だが、クレマンから「さあ、君の出番だ!」というアイコンタクトを送られて、目いっぱい幸福感・達成感を感じながら美声を披露した。
合唱団の演奏会は大成功で、パトロンの伯爵夫人は大感激。
出世欲むき出しのラシャンはすかさず、
「この合唱団は私の発案で始めたのです。
素行や家庭環境に問題ある子どもたちでも、温かい指導によってどこまで到達できるのか、それを証明したかったのです」と自画自賛した。
クレマンはその言葉を驚きながら――ここまで厚顔無恥だったのかと――聞いていた。教師たちも、ラシャンのやり口に腹を立てた。
だが、クレマンは平静だった。
自分よりも状の権威にはめっぽう弱く見栄っ張りのラシャンが自分の方針として合唱団をつくったと言明した以上、もはや解散することはないはずだと判断したからだ。
つまりは、ラシャンに「貸し」をつくって、合唱団活動をおおっぴらにおこなうことができる条件を得たのだから、それでいいというわけだ。
ところで、クレマンが発表会まで、練習ではピエールをソロからはずしておいたのは、ピエールの拗ねた態度への反省を迫るという意味もあったのだが、本当の理由は、自分にとって音楽がどれほど大切で切実なものかを考えさせるためだった。音楽と正面から向き合う気持ちを固めさせたかったのだ。