さて、物語の舞台、スコットランドのマッケンジー収容所では、かねてからドイツ兵捕虜の反抗によるトラブルが続発していた。スコットランドといえばブリテンの辺境に位置する。したがって、もともとイングランドからの独立志向の強い土地柄に加えて、中央からの統制が物理的・地理的に届きにくい土地である。
しかも、北海の対岸、ノルウェイはドイツの同盟国で、ノルウェイ領の諸島から電波を飛ばせば、スコットランドには容易に到達する。ドイツ兵はこっそり製造した無線機を使って、北海の対岸からの情報を受け取ることも可能だった。
ドイツ軍は、辺境の収容所の捕虜に対して、撹乱や騒擾を指揮あるいは教唆していたのかもしれない。
というわけで、ブリテン軍の情報部は、かねてからマッケンジー収容所の捕虜の騒動や擾乱について憂慮していた。いったい、どういう理由、どういう状況下で、ドイツ兵捕虜は頻繁に揉め事を繰り返すのか。仮にドイツ軍からの指導や示唆があるとすれば、どういう経路、どういう指揮系統で反抗が指揮されるのか、と。
つまりはマッケンジー収容所の捕虜たちに対する監視と警戒の必要を痛感していたわけだ。
映画の物語の冒頭。
収容所長=ペリー少佐の命令を受けたコックス曹長率いる小隊が、隊列を組んで鉄条網で囲われたドイツ兵捕虜収容所の内部に入っていった。小隊は、手錠を入れた木箱を運んでいた。
居留地への立ち入りにさいして、ブリテン軍はヘルメットや木製の盾、警棒以外に武器は保持しないことになっているようだ。居留地の内部では兵器を用いての闘争・戦闘になることを回避するためらしい。とはいえ、居留地へのゲイトと鉄条網の外には重機関銃(ガトリングガン)などを設置して常時警戒している。鉄条網からの闘争に対しては、銃撃による阻止ないし殺傷もありうるわけだ。
さて、箱のなかの手錠は25組。これを、任意に選び出したドイツ兵捕虜の手首にかける計画だった。収容キャンプ内で捕虜に手錠をかける、という一見馬鹿げた計画は、ドイツ軍に囚われたブリテン軍捕虜25人が手錠で拘束されたことへの「報復」だった。
だが、ペリー少佐の計画は事前にドイツ兵たちに読まれていたようだ。あるいは、ブリテン側の捕虜に対する統制や管理に対しては反抗することが、一般ドイツ兵卒(下級兵員)たちの習性になっているのか。ドイツ兵たちのほとんどは、シュリューター大尉の指揮のもとに統制の取れた組織的な抵抗や反抗を参加していた。
今回もまた、シュリューター大尉の巧妙な指揮のもとで、ブリテン兵を捕虜居留地の外に追い出す作戦が仕組まれていた。
ヒュッテのなかに固くこもる一方で、いくつかのグループは屋根に昇って投石してブリテン兵の隊列を崩し後退させ、その間に600人の捕虜のほとんどが密集団となって圧迫を加えて、ブリテン兵を居留地の外まで押し出してしまった。ブリテン兵はなすすべもなく、追い返されてしまった。
すべて武器なしの素手の闘い・肉弾戦によるものだったが、ブリテン軍側には十数名の負傷者が出た。
居留地の外に逃げ帰った無様なブリテン兵を見て、ドイツ兵たちは凱歌(勝利の歌)を合唱した。
一方、ペリー少佐は、とにかく規則一本槍で視野が狭く、頑なな指揮官だった。だから、シュリューターに、その行動スタイル、判断スタイルをすっかり読まれてしまい、このところつねに機先を制されていた。実質的な権威は足元から崩れているのだが、その権威を回復するために、なおのこと権威主義的で規則尽くめの反応をするので、ますます統制能力を失いつつあった。