サリーが最初に収容されたのは、マウトハウゼン強制収容所だった。
この映画は、解明された事実にもとづいて、マウトハウゼン強制収容所におけるナチスの暴虐とユダヤ人に対する巧妙な分断・差別化の手口が赤裸々に描き出している。その映像物語は、「ユダヤ人全般が等し並みにナチスのホロコウストの犠牲者だった」という神話を完膚無きまでに打ち砕いて、ナチスのユダヤ人抑圧と虐待・迫害には、犠牲者のユダヤ人を分断して戦争や統治にユダヤ人の技能を利用しつくすために醜悪で周到な手段や手法が駆使されたことを描き切っている。
収容所内のユダヤ人の扱いに差別・格差を設け、優遇される者と虐待される者とに分断し、彼ら相互間の反目や憎悪、敵対の関係をつくり出していたということだ。
強制収容所に投げ入れられて人間としての尊厳を全面的に奪われ、畜獣以下の扱いを受けながらも、ユダヤ人たちの多くは生き物としての生存欲求に迫られて、目の前の虐待や暴虐から少しでも身を遠ざけたいとあがいてた。なかにはごく少数だが密告にはしる者もいれば、何とかドイツ兵への取り入りを狙おうとする者もいた。
ナチス・ドイツ軍の側もユダヤ人たちを分断統治するために、密告やゴマすりで身を寄せてくる者たちを協力者として優遇し、そのほかの収容者との差別化を謀った。目の前の苦痛から逃れようとして、ナチスが投げ込む「餌」に食いつかせて、収容者の内部に分裂や反目を引き起こすためだった。
すると、多数派のユダヤ人たちは、あからさまにドイツ軍にすり寄る者たちを「裏切り者」として嫌悪・忌避するようになる。とはいえ、密告者も潜んでいるので、裏切り者へのあからさまな反感や嫌悪感を見せるわけにもいかない。
あるいは、ただ処刑の日を1日でも先に延ばしたいという切実な願望にすがって、自分のアイデンティティを投げ捨てて、外面上ドイツ兵の命令や要求に唯唯諾諾を従う者たちも多かった。
ドイツ軍としては、ユダヤ人収容者たちにより甚大な精神的苦痛を与えるため、すぐに大量にガス室送りにするだけでなく、苦しめながらできるだけ長く生かしておくこともあった。
長い期間にわたってそんな虐待と疑心暗鬼、絶望に晒され続けているうちに、収容者たちは精神的な自立心や自己尊厳、アイデンティティを切り崩され、精神と人格の危機に陥っていく。
もともと世の中に対して斜に構えていたサリーは、そんな強制収容所の状況、ユダヤ人たちの態度にもシニカルな態度を持っていた。だが、生きる願望がある以上、「自分が一番かわいい」ことには変わりがない。とはいえ、彼はユダヤ人仲間を売ることには、嫌悪を抱いていた。「悪党の美学」を矜持としていた。
サリーは絵が得意だった。
あるときドイツ兵が捨てた紙切れに人物画を見事に描いたことから、彼は収容所の将校の肖像画係に取り立てられた。そして、ついに所長(家族)の専属の肖像画家になった。そうなると、一般のユダヤ人囚人から引き離されて特別の部屋と食事、衣服をあてがわれて別格扱いになる。
サリーはこの「特権」にしがみついてドイツ兵将校に媚を売り、だがその裏では彼らの食べ物をくすねるようになった。