ヒトラーの雁札 目次
ベルンハルト作戦とユダヤ人狩り
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生き残った小悪党の回想
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贋札製造のユダヤ人たち
ベルンハルト・プロジェクト
ポンドからドルへ
巨額決済の経済的な意味
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巨額決済の経済的な意味

  たしかに1億3.000万ポンドもの――本物と見分けのつかない――偽紙幣をヨーロッパないし世界経済の貨幣循環に放り込むことができれば、ブリテンの金融経済はかなりの混乱をきたすだろうし、世界経済も動揺するだろう。世界最大の金融センターに位置する中央銀行、いわば、イングランド銀行がブリテンの外部でもう1行創設されて勝手に――ブリテン経済を撹乱する目的で――銀行券を発行するのだから。
  ところが、金融や世界経済の運動原理をまったく知らないナチスには理解できないことだが、ヨーロッパや世界経済における有力国家の中央銀行レヴェルに並ぶほど超巨額の資金の運動(支払いにともなう通貨の取引き)は、巨大な権力どうしの間のやり取りであって、通常の通貨取引きとはまったく異なった運動形態をとるのだ。
  つまり、通常紙幣などの現金での取引はおこなわれるはずがないのだ。もちろん、国家間の長期巨額借款に匹敵どころか超える額なので、決済がたった1回で済むはずもない。大企業間の取引でも、この規模になると、中央銀行などの国家装置が介在し、国際的な金準備の移動がともなうことになる。一私人が銀行に紙幣を持ち込むのとは次元が全く異なる。
  列強国家どうし並みの権力のあいだの信用取引きとなるだろう。

  ナチス・ドイツがザクセンハウゼン強制収容所で印刷した贋ポンド紙幣の枚数は、1945年春時点で、4種類の額面紙幣全体でおよそ896万枚あったという。体積や重量から推定すると、10トン積み大型トラック1台に満載近くになるだろうが、当時は2トントラックがせいぜいだから5台分になるだろうか。トラック5台を引き連れて決済取引きの場に臨むことなど、想像もできない。
  それだけの数量の紙幣を短期間に世界市場のあまり目立たないように貨幣循環に投入するとなれば、理論上の可能性だけで想定すると、ナチスはブリティッシュ・コモンウェルス諸国を重点に世界各地の諸都市にスパイを10万人ほど分散的に派遣して、2000ポンド以下の通貨支払いをおこなわせるくらいしかない――いや、この方法ではかえって目立つかもしれない。


  ところで、偽紙幣のなかには50ポンド札があったということだが、当時の物価からいって、現在の合衆国1000ポンド紙幣に相当する額面紙幣になるだろう。とすると、それはUS1000ドル紙幣と同じような巨額決済専用の特別な銀行券であって、通常の通貨支払い取引きには用いることができないものであるはずだ。
  アメリカの1000ドルは、その印刷発券はもちろんのこと、その振出し、受取り、ほかの紙券や有価証券あるいは金準備との交換などに関しても、連邦準備銀行の直接の管理下でのみ行使が認められる。普通の民間企業や私人が受取り、保有、行使が許可されることはない。
  1000ドル札は、いわば国家装置としての連銀が発行した「為替手形証書」であって、銀行券ではあっても通常紙幣=通貨ではない。
  当然のことながら、紙券の記号番号はすべて連邦準備銀行に記録され、いつ誰にどれだけ引き渡したかについて証明・確認がなされる。そして、1000ドル札の資産としての保有は、連銀当局によって証明・確認された者にしか認められない。仮に誰か私人が1000ドル札を拾っても、使うことはできない。通貨当局への届け出と引渡しが義務づけられている。私人が銀行などの持ち込んで小額紙幣との交換を求めると、それは犯罪となりただちに拘束される。
  だから、映画で連銀1000ドル札を強奪する物語があるとすると、それはまったくありえない馬鹿げたストーリーでしかない。

  話を戻すと、おそらく贋50ポンド札についてはイングランド銀行が券記号番号を管理しているので、ドイツ軍が使おうとしても使うことはできなかったのではないだろうか。ナチスのやることは、長い目で見ると、すべからくそんな体たらくだった。
  ナチスがもし本気でブリテンの金融経済に痛打を浴びせたかったら、金融・通貨取引きに長けていたユダヤ人を弾圧するのではなく厚遇し、金融や通貨取引きについて教えを請い十分に学ぶべきだっただろう。

  日本の江戸時代の小判についても、幕末に幕藩体制が崩壊状態になったときを除いて、同じことが当てはまる。すなわち小判は大口決済専用の金貨だった。
  余談だが、小判はそれぞれ幕府直属の造幣所としての金座による証明印と墨書きがあることを確認され、25枚ずつ――「切り餅」状に――包装され、包み紙の表にこれまた金座による証明印と墨書きが施され、100両単位にまとめられて行使された。そして、大口決済専用の金貨=準備金なので、含有金量が問題とされるので、3%までの摩耗誤差が容認された。
  ただし、その場合には、ただちに金座に持ち込まれて溶解され正規の品質・量目にふき直された。
  摩耗が全くない小判ならば、97両で100両の扱いを受けた。そういう誤差がある場合も、決済取引き後に金座に戻され正規の分量・包装・証明印・墨書き状態に回復された。
  小判1枚ごとにばらしての使用は厳に禁圧された。100両以下の決済には、小額面の矩形の小型金貨や銀貨や豆小粒金貨などが用いられた。運搬時の事故などで包装が破れて小判がバラけた場合には、25枚×4のまとまりにして金座に届け出て、量目の検査と証明印・墨書きをやり直してもらうのが原則だった。

  日本の時代劇では、今日、この辺りの描き方がでたらめになっている。「鼠小僧」は小判を庶民の戸口に放り込むことができなかった。もとより、武家屋敷の金蔵に小判がバラ状態で「千両箱」に詰め込まれて保管されていることもなかったのだが。

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