ところが、彼の得技――描画技術や贋札製造技術――を知るヘルツォーク少佐によって、ベルリンのザクセンハウゼン収容所に引き抜かれて贋札発行作戦の技師として「勤務」することになった。そして、製版・印刷工程のまとめ役になった。
ヘルツォークは偽造作戦に協力するユダヤ人を「厚遇」した。ドイツ兵に比べると数段は劣るものの、暖かい部屋とベッド、栄養のある食事と医療を提供した。偽造作戦に協力する限り、特別扱いを与えようというのだ。
だが、集められたユダヤ人たちは、誰もが大きなディレンマに直面していた。
偽造作戦への協力は、自分たちを暴虐するナチスの支配の存続に加担することでもある。だが、協力を拒めば虐殺が待っている。協力すれば、自分だけは安眠や滋養ある食事が保証される。
このディレンマは、偽札造りのために集められたユダヤ人それぞれ個人ごとの態度の違いや対立、いがみ合いとなって噴出する。
とりわけ、プラーテン印刷機と写真製版印刷機の技師を務めるブルガーは、筋金入りのマルクシスト(共産党員)で、ナチスの権力の維持や増進に役立つことになる贋札印刷では、製版に傷を入れたり色を濁らせたりして、「完全な贋札」が仕上がるのを妨害していた。
ブルガーは反ナチズムの信念を貫こうとして、自分の死を恐れない。彼にとっては死の恐怖よりも、ナチスに協力することへの反感の方が強かった。とはいえ、偽札造り工程で製販工の仕事・役割そのものを拒否しない――拒否すれば処刑が待っている――のは、とにかく生き延びようとする生存欲求が強かったということだろう。ブルガー自身も深い葛藤や自家撞着に陥りながら日々を生きていたのだろう。
だが、ブルガーのサボタージュが発覚すると、全員が連帯責任を取らせられる――つまり処刑される――かもしれない。そう恐れる面々は、ブルガーといつも口論していた。
サリーは、まとめ役として内紛を収めながら、ゲシュタポには努力している姿勢を見せるように苦悩していた。内部に裏切り者を出さないこと、印刷工の内部に根深い対立があることを知られないようにすること、それが彼の信念だった。
ところが、そんなユダヤ人グループのなかにも、しかもそんな極限状態のなかでさえ、収容所の外のドイツ社会の階級対立が持ち込まれていた。それは、上記のような偽札造り作戦をめぐる意見や思想の対立というのではなく、日常生活での差別意識や優越感覚、特権意識として現れた。
銀行家として裕福な階級に属していたあるユダヤ人は、労働者階級である製版工・印刷工(まして左翼)と同じ扱いを受けることに反発していた。しかも、小悪党で書類贋造業者のサリーとともに働くことに、強い拒否感を示した。
とはいえ、それをドイツ兵の前で示せば、作戦の足を引っ張っているとして自分がガス室送りになるので、サリーに本人に対する侮蔑や嫌悪感を示すことで満足するしかなかった。
ヘルツォークはサリーを威圧して、成果を出さないと全員処刑する羽目になると脅して、贋ポンド札の製造に成功した。それを大量に印刷させたのちに、今度は贋ドル札の製造を求めてきた。
贋ドル札の印刷がまさにナチスによる世界市場での軍需物資の調達にかかわるものであることを知るユダヤ人たちは、作業をそれとなく遅らせていたが、ついにデッドラインを提示されてしまった。
遅れはブルガーの妨害によるものだった。
悪党だがブルガーの立場に同情しているサリーは、期限ぎりぎりで自分の手で見本を印刷し、その後、贋ドル札を何万枚も印刷した。200ドル札で、総額3億ドルにのぼったらしい。