ヒトラーの雁札 目次
ベルンハルト作戦とユダヤ人狩り
見どころ
生き残った小悪党の回想
収容所内での差別と格差
贋札製造のユダヤ人たち
ベルンハルト・プロジェクト
ポンドからドルへ
巨額決済の経済的な意味
残された贋札
ベルンハルト作戦の結末
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諜報機関の物語
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コンドル

◆ポンドからドルへ◆

  さて、贋札印刷作戦は、ブリテンのイングランド銀行券ポンド・スターリング紙幣――5ポンド、10ポンド、20ポンド、50ポンド――の偽物を大量に印刷して、ブリテン本土やヨーロッパ、植民地などに流し込むという場当たり的で大雑把な目標で始めたという。
  その当時、ドイツは印刷技術の最先端を走っていて、発明されたばかりの写真製版技術でオフセット印刷するハイデルベルク印刷機が開発されていた。またプラーテン印刷機では金属板の凸版または樹脂板凸版による精緻な印刷が可能だった。こうしてドイツの印刷機は、イングランド銀行管轄下のどの印刷機よりも精緻な印刷が可能だった。
  つまり、ブリテンよりも遥かに進んだ印刷技術で贋札を製造するわけだから、原版さえ精緻にできれば、本物の札と贋札とを識別するのはおよそ不可能だっただろうと言われている。

  1942年はじめ頃から製版と試験的印刷が試みられたが、原版が完成して大量に印刷されるようになったのは1943年後半だったらしい。そして1985年春頃までに、この4種類の紙幣でおよそ1億3460万ポンドが印刷され蓄えられていた。紙幣の印刷に関してはほとんど問題がなかった。

  しかし、それほど大量の偽紙幣をヨーロッパおよびブリテン植民地帝国にどのように持ち込んで一挙に流通過程に投入するか、それが大問題だった。せいぜい数万ポンド――それでも当時としては巨額で、目立ってしまい警戒される――ずつチマチマと流通過程に投入していては、急速に悪化する戦況に追いつかない。


  そこで、ドイツ空軍機がブリテン本土上空で投下してばら撒き、それをブリテン市民に拾わせて使用させれば、急速な通貨流通の膨張で劇的なインフレイションが発生し、ブリテン経済に大きな打撃を与えられるという作戦構想が考案された。そんな巨額・大量のポンド札が空から降ってくれば、マスメディアが発達したブリテンでは大騒動になり、当局の捜査が入るはずで、現実性がない構想だった。
  ところが1942年頃には、ドイツ空軍はもはやブリテン本土上空まで軍用機を飛ばす能力を備えていなかった。それどころか、ドイツからブリテンへのあいだにあるバルト海・北海での制空権も制海権も失っていた。
  1940年6月に開始したブリテン本土空爆の作戦が結局失敗したためだった。はじめは防空態勢を備えていなかったブリテンに大きな打撃を与えたが、その年の末までにはドイツ空軍はブリテンの迎撃・反撃にあって、爆撃機および戦闘機の多くを失っていた。
  作戦の実行方法や自国の戦力を考えない、あまりにも底の浅い作戦構想なので、「ブリテンの金融経済への打撃」というのは表向きの動機で、国際市場で信認を失ったマルク紙幣に代えて、戦略物資の調達代金を払うための外国紙幣偽造というのが、本当の理由ではないかと勘繰りたくなる。

  と勘繰る理由があるのだ。つまり、枢軸諸国・ドイツ軍の戦局悪化によって世界市場ではドイツ・マルク通貨の信認が低下したこともあって、贋札製造の主眼はすぐにアメリカ合衆国の通貨ドルの印刷に切り換えられたのだ。ドイツが外国市場で清掃や経済活動に必要な物資を調達する際には、もはや価値が暴落したマルクではなく、ドル札が必要だったからだ。
  ポンドとドルの両建てで国際決済ができるようになったのは事実だった。

  ナチス・ドイツ軍が偽のポンド札ないしドル札を使ったのは、連合軍の進撃を受けて1943年9月にイタリアのファシスト政権が倒れ新たなイタリア政府が連合軍に降伏した際に、ムソリーニを救出して新傀儡政権を樹立させ、イタリア各地の要衝にドイツ軍を配備するための費用に充てたという観測がある。いわば、イタリアやスイスでの混乱のドサクサに紛れた贋札行使であって、その程度の額ではブリテン経済、アメリカ経済に擦り傷さえ与えられなかった。
  とはいえ、マルク札での支払いには誰も応じなかったろうし、そうなればナチス・ドイツによるイタリア戦線の再構築はかなり難しかったから、ドイツ側には大いなる効果があったことになる。

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