迫害を逃れてくる移民、そしてニューヨーク港といえば、なんと言っても「自由の女神」の巨像です。
この港にようやくたどり着いた逃避者、亡命者たちの多くが、新たな希望の光を見出すとすれば、おそらく、エリス島の目前に立つこの像を目の当たりにしたときではないでしょうか。
自由の女神像の台座には、「貧しく、打ちひしがれた者たちよ、われに来たれ」という主旨の韻文が刻まれているとか。
古くは「巡礼の父たち(pilgrim fathers)」。そしてまた、イングランドの抑圧や困窮・飢餓を逃れてきたアイアランド人たち。
あるいは冒険と植民をめざしたネーデルラント人やフランス人、スウェーデン人。
さらには奴隷として連れてこられたアフリカ人など。
北アメリカ社会はおよそ5世紀のあいだに世界中からやって来た多様な移住者たちによって形成されてきました。
ニューヨークを典型とするアメリカの諸都市には、多数派のアングロサクスン系以外の多様な移民たち(スウェーデン系、アイアランド系、イタリア系、ドイツ系、中国系など)がそれぞれ出身母国ごとに集住する一角=居住区( neighborhood )があります。
だいたい1960年代までは、彼らは故郷から引きずってきた血縁、地縁に依拠したり、あるいは職業上の強い結びつきを強めたりしながら、居住区ごとに固く結集し、同じ教会への参集とか濃密な近所づきあいというような社会関係を築き上げてきました。
さらには、互助組織を自然発生的につくりあげてきました。
そこには、ほぼ同じ民族(共通の言語や文化、風習)からなる小社会が成り立ち、それゆえまたこれに照応した秩序、序列のピラミッド、言い換えれば特有の権力構造がありました。
教区のしきたりや年中行事、近所づきあいから始まって事業者団体や組合などがそうしたミクロコスモスの構成要素をなしていました。ギヴ・アンド・テイクの関係、義理と恩の売り買いがおこなわれていたのです。
イタリア人移民系社会もまたしかりです。むしろ、因習や慣習によるまとまり、それゆえの束縛は、ほかの民族よりも強かったかもしれません。
ゴッドファーザーの各篇には、イタリア人街の宗教的かつ世俗的行事としてのカーニヴァルやイースターのシーンが何度も登場します。