さて、このキューバは、合州国が19世紀末からの対スペイン戦争の圧勝によってラテンアメリカのほぼ全域を支配圏として獲得したときに、名目上は独立を達成しました。
しかし、事実上はアメリカの保護領で、その全面的な植民地ないし属領となってしまいました。
この島には、サトウキビ栽培と精糖業、その関連産業としてのラム酒醸造くらいしか、めぼしい産業はありませんでした。
サトウキビや熱帯果物の栽培は、ヨーロッパやアメリカ出身の大プランターが経営する大農園でおこなわれ、キューバ人たちは小作人や隷農として酷使され、搾取されていました。
アメリカの保護=支配の下に入ってからは、そこは「熱帯の楽園」としてリゾート開発され、ハバナを中心に、アメリカ人やヨーロッパ人のための瀟洒な街並みがあちこちにできあがりました。
しかし、キューバ人たちは貧困に追いやられていました。
この国の歴代大統領は、かなり短期間に交代しましたが、ほとんど合州国の言いなりでした。大統領が民衆の権利拡大や福祉に目を向けようものなら、たちまちアメリカが首のすげ替えを断行しました。
キューバの軍の将官と行政府の高官たちの大半は、アメリカ政府・軍、そして大企業と癒着し、その傀儡となっていたようです。
合州国にとって、キューバは一方的な支配と収奪の対象でしかなかったかに見えます。
アメリカ南部で観光、ショウビズネス、賭博などを支配するマフィアも、大資本の有力な1部門として、進出をねらっていました。
アメリカの大資本は、カリブ海と南アメリカを経済的・金融的に支配するための1つの拠点として、フロリダの目と鼻の先にあるキューバを戦略的に位置づけ、取り込もうとしていたのかもしれません。
当時、キューバにアグレッシヴに投資を進めていたのは、国際電信電話会社ITT、ユナイテッド・フルーツを筆頭とする農産物商社、ホテル業チェーン、賭博業などでした。
ことにITTは、国際的な通信インフラストラクチャーを建設する事業を営むためか、アメリカ政府の国際政策の出先機関(agency)であるかのように、人脈的かつ財政的にCIAや軍と結びついてました。
そのため、「投資環境を適正化」するために、中南米諸国で保守政権の樹立、右翼や軍部のクーデタを支援したり、CIA工作員を自社職員として送り込む経路を提供していました。