ごく大雑把に見て、第2次世界戦争直後までは、こうした都市にある多くの移民系社会の住民の多くは、生まれ育った街区から遠く離れることはなく、伝統的な生活慣習の枠組みに取り巻かれて、生涯を過ごしたことでしょう。
というのも、この枠組みは、すでにできあがっているアメリカ合州国の政治的・経済的システム(格差の激しい階級社会)のなかで、「遅れてやって来た異邦人」=移民たちを差別的に扱う仕組みのなかに、彼らが無防備に巻き込まれるのを防ぎ、過剰に収奪され疎外されるのを防ぐクッションとしてのはたらきをしていたからです。
移民を受け入れる「富裕な工業国」アメリカとはいえ、すでにどこでも社会の序列ができあがっていました。
そのうえ、古くから市民権をもつ住民たちが既得権を確保して、彼らが優越する社会秩序や政治構造が成り立っていました。
ほとんどの場合、移民たちは世間的に忌避され、評価の低い仕事や職業、低賃金労働について生活の糧を得るしかなかったのです。それでも、故国での貧困や迫害に比べれば、はるかにましでした。
しかし、移民街にいて、そこでのしきたりや掟、地位を受け入れれば、なんとか生存場所は保証されるようになっていました。
ヴィトが定着して成長し、働き、やがて家庭を設けることになったニューヨークのイタリア人街もまたそんなところでした。
ところが1930年代以降、とりわけ戦時中のアメリカの急速な工業化と経済成長は、豊かさや世界全体でのアメリカの威信の上昇にともなうナショナリズムや「愛国心」の高揚ともあいまって、こうした移民系街区を《1つの全体としてのアメリカ合州国》に統合していきました。
ラディオ、映画、商業雑誌などのマスメディア、自動車交通、航空便、さらにテレヴジョンなどの開発と発達が、合州国全域はもとより世界の情報を家庭や個人に伝達し、近隣社会の外側に広がる職場やビズネスチャンス、リゾート・観光地を知らしめ、個人や企業・団体の活動空間を一挙に拡大していきました。
それは、人びとの社会的流動性を著しく高め、旧来のネイバーフッドを少しずつ解体し、組み換えていきました。
この変動の前と後をそれぞれ代表する2つの世代が、ヴィト・ドン・コルレオーネとその子どもたち(とくにマイケル)です。
マイケルは、その当時のアメリカの若者の心性と行動スタイルを代表しています。
生まれ育った家の旧弊なしがらみを嫌い、別の新たな場所への勇躍を試みます。
マイケルは自分なりの人生の設計図を描き、強い上昇志向をもち、生まれ育った街を離れて大学に行きます。やがて戦争が始まると軍(海兵隊)に志願し、海外の戦地で勲功を立てます。
その当時、合州国では「軍産複合体(military-industrial complex)」が形成され始めたところでしたが、軍は最高の先端テクノロジーと組織戦略、経営理論、戦術などを学べるところでもありました。
戦役でのリスクはありましたが、軍は愛国心と将来の夢や野心をともに受け入れる組織なのでした。
コッポラは、このような社会史的文脈を映像と物語のなかに写し取っています。