さて、物語は30年前に戻ります。成長したヴィトは家庭をもち、イタリア人街の小さなレストランで働いていました。
時は1915年から20年のあいだのどこかでしょう。
十数年後の大恐慌ほどひどくはないにしろ、急激な経済的膨張の反動で「不況の嵐」がニューヨークのダウンタウンにも吹き荒れていました。
しかし他方で、急速に成長していくアメリカ経済の力強さ、そしてさらなる隆盛の兆しも見られます。自動車やラディオなどの耐久消費財の普及と大衆化です。
不況のなかでイタリア人街でも生き残り競争は厳しく、その分、移民系社会のボス、とりわけ裏社会のボスたちは、街区の商人や経営者、住民を巧妙に支配・統制する絶好の機会を与えられたようです。
働き口の紹介あっせん、融資の口利き、利権の誘導や競争の調整などは、従来にも増して物を言うようになったからです。
しかし、こうした影響力の行使で、あおりを食う正直者もいます。
勤勉で気働きにすぐれたヴィトは、勤めるレストランの経営者から絶大な信頼を得ていたのでしたが、コネでボスに取り入った若造をこの店に雇わせるため、解雇されてしまいます。
それまで店主は、ヴィトを弟か腹心のように扱ってきましたから、ヴィトを失うことは店の経営には大打撃です。店主は悲嘆にくれます。けれども、ギャング団を動かし、警察や市議会にも顔が利くボスに逆らうことはできません。
このボスは、地区の警察署の幹部や市会議員さえも自らの利権システムに引き入れ、イタリア人街での権力を打ち固めて、無慈悲に影響力を行使し、誇示していました。
このように有力者を中心に組織された、庇護と影響力の行使=受容、利権誘導などが絡み合い、支配=従属関係をともなうネットワークの仕組みを、クリエンティスモないしクリエンテリスモ( clientismo / clientelismo )と呼びます。
やがてヴィトは、家族を養うために窃盗団に加わり、持ち前の才覚と豪胆さでリーダーとなります。
ところが、例のボスがまたもや彼らの「事業」に横槍を入れて、収益の大半を「税=みかじめ料」として上納するよう強制してきました。ヴィトはボスと対立することになります。
そのボスはといえば、いまや自分の権力にすっかり驕りきっていました。
かつては街区の住民に援助や庇護を与え、彼らの畏敬や従順と引き換えにそれぞれの生存場所を与え、より多くの住民のために利益誘導あるいは利益分配の調整をすることでやっと築いたボスの地位=役割をすっかり忘れていました。
裏社会の首領といえども、富と権力は、彼が提供するサーヴィスとのギヴ・アンド・テイクのうえに成り立つものでした。
しかるに、今の彼は居住区のクリエンティスモ(庇護=恩顧と従順の取引)の組織者としての地位を見失い、おのれの権力・威勢の増殖を自己目的化して、コミュニティの寄生虫、癌細胞、住民社会の破壊者になっていたのです。