そして、第2次世界戦争の終盤には、シチリアのマフィアがアメリカ軍と連合軍の地中海側からのイタリア侵攻を支援しました。
マフィアはファシスト党総裁ムソリーニによってすさまじい弾圧・粛清を受けていたので、ファシストからイタリアを解放するという点では、アメリカおよび連合国と利害が一致し、共同戦線を組むことができたのです。
その結果、戦争末期から1950年代にかけて、シチリアのマフィアは、占領軍アメリカの支援と後押しを受けて島内の市長や村長、議会、警察幹部などの公職を割り当てられ、裏社会と表社会の権力を独占することができました。
そして、オリーヴやオレンジなど農産物の貿易と流通・運輸を独占し、金融業などでで大きな影響力を手に入れました。
アメリカの占領統治のもとで、そうなってしまったのは、はじめアメリカは(ファシスト党から目の敵にされ弾圧される)マフィアを反ファシスト・パルティザンだと誤解したからだといいます。
イタリアでは各地で武装闘争が繰り広げられていて、混乱していたからでしょう。
しかし、アメリカ政府がシチリア・マフィアの実態を知ったのちも、やはり癒着し続けました。今度は、世界覇権を握ったアメリカの世界的な政治戦略が理由でした。
戦争後、こんどは冷戦が始まり、イタリアの議会選挙で戦時中の反ファシスト運動を主導した共産党PCIや左翼諸党が多数の民衆の支持を受けて大躍進しました。すると、アメリカは反社会主義的工作、諜報活動、反左翼運動の尖兵としてマフィアを利用するようになりました。腐敗と癒着は、意図的・意識的なものになりました。
これも、痛烈な歴史の皮肉、いや悲劇です。
さて、ヴィトの復讐から二十数年後、後継のドン、マイケルはニューヨークとアメリカ全域での組織間の主導権争いに突入します。父親が築いたファミリーの基盤を引き継ぎ、拡大しながら。
その基盤は、ニューヨークと東部一帯での賭博や売春、飲食業、食肉業、運輸業への隠然たる支配という「旧来からの事業」が中心でした。
マイケルはそれらに加えて、戦後急成長する新興ハリウッドの映画・ショウビズネス、娯楽産業、フロリダなどでのホテル・観光業、ラスヴェガスでの賭博・ショウビズネスなどに進出し影響力を拡大しようと企図したのです。
それは、主にニューヨークに拠点を置いたローカルな経営体が、西海岸、中西部、南部をカヴァーする大陸規模のネットワーク企業へと飛躍するプロジェクトです。
当然のことながら、マフィアのファミリーないしシンディケイトどうしの権力闘争も、全米規模になります。
さて、フロリダに本拠を置くユダヤ系マフィアのドン、ロスは、ニューヨークへ進出を始めていました。それはコルレオーネ派勢力の押さえ込みを必要とするはずのものでした。新たな抗争の局面の到来です。
他方で、「新規産業」である麻薬取引きのルートの開拓を進めながら、さらにカリブ海のキューバで観光・娯楽産業に巨額の投資を始めていました。利権の配分をつうじて軍や政府の当局者たちと癒着していました。
このファミリーの首領は、コルレオーネ・ファミリーを陥れようとして、マイケルにキューバへの投資をもちかけます。
マイケルの暗殺を裏で画策しながら、キューバへの視察・商談旅行に誘いました。これは、コルレオーネ・ファミリーが拠点や影響力をもたない島でマイケルを殺害し、かつマイケルがもち込む予定の資金を奪うためです。
この闘争は、じつはすでに数年前、コルレオーネ・ファミリーがラスヴェガスの利権獲得をめぐってその地の有力なホテル経営者モー・グリーンと争い、彼を殺害したときに始まっていたのです。
フロリダのファミリーのボス、ロスにとってグリーンは目をかけた弟分で、ヴェガス進出の橋頭堡だったからです。
ヴェガスへのコルレオーネの進出で、ロスのファミリーは痛手を受けていたのです。