さて、ゾーフィーは幻影術の舞台で出会ったアイゼンハイムが、少女時代の恋人、エドゥアールトだとわかった途端、あのときの恋心が復活し燃え上がるのを感じた。ゾーフィーにはもはや両親はなく、女性ながら公爵位を継承しているのであろう。
ある深夜、ゾーフィーは馬に乗ってアイゼンハイムの住居を訪れた。家の扉が開き、エドゥアールトと見つめ合った途端、彼女は抱きついた。そのまま愛を交わし合うことになった。
2人のあいだの愛と信頼が以前のまま――というよりも深まった――と確信したゾーフィーは、アイゼンハイムに2人で遠くに逃げよう、レーオポルト大公から逃れたいと打ち明けた。
最大の理由は、大公がきわめて自己顕示欲が強く、権力志向であって、ゾーフィーとの結婚を望むのは愛情ゆえというよりも、テッシェン公爵家門がオーストリア王国だけでなくハンガリア王国にも広大な領地を保有し、有力な君侯として強固な権力基盤を確保しているからであった。
公爵家はハンガリアの貴族連合の盟主であるらしい。この連合の上にハンガリア王権が維持されているということだ。
ヨーロッパ古代から中世・近世にかけての「帝国」とは国家ではない。むしろ国家とは正反対の政治的構築物だ。帝国とは、統治権力の中央集権性ではなく、分散性を意味する。地方領主ないし地方の小王国、侯国の独自固有の法と統治権力の独立性を土台とし、これら政治体の君侯のあいだのパースナルな同盟関係(すなわち妥協)のうえに成立する制度だ。
それゆえ、帝国の版図全域におよぶ統治・行政組織はなく、したがって、皇帝個人ないし家門の死滅や地方の反乱などによって、容易に――わずか数カ月もない短時日に――崩壊消滅することがあるのだ。
各地方の政治的ないし軍事的支配や統治は、地方ごとの独自の法状態のもとで、各地方の君侯や領主の家政装置が主体となった貧弱な行政組織によってまかなわれている。皇帝がそれらを統合する装置を組織化・掌握していることはめったにない。⇒これに関する資料(理論と歴史研究)
◆アイゼンハイムの決断◆
レーオポルト大公は、ゾーフィーとの婚姻によってハンガリア勢力と強固な同盟を築き上げ、現在の皇帝、フランツ・ヨーゼフに退位を迫って自分が皇帝位を奪おうと考えているのだという。
しかも、大公には愛人が何人もいて、これまでに邪魔になった愛人の1人を密かに殺したという噂が立っていた。
要するに、レーオポルトはゾーフィーを、自らの権力簒奪のための手段としてしか見ていない。そのことが、すぐそばにいて、ひしひしと感じられるというのだ。
アイゼンハイムはゾーフィーの訴え(哀願)を聞いて、しばし沈思したのち、ある計略を思いついた。そして決断した。
アイゼンハイムの破滅をねらって攻撃を仕かけてきたレーオポルトを、幻影術を駆使して逆に破滅に追い込んでやろうと。そうすれば、執拗な大公も、もはやゾーフィーとアイゼンハイムをつけ狙うことはできないと。
というよりも、自分の威信を傷つけ者どもを破滅に追い込まずにはいられない執念深い大公による追跡、復讐から逃れるためには、大公を今の地位から引きずりおろし破滅させ意外には道がないということだ。
ところで、レーオポルト大公にも、自らによる帝国権力の簒奪には立派な理由、大義があると信じていた。
フランツ・ヨーゼフ皇帝の時代錯誤的な政策スタイル、帝室や有力貴族の浪費傾向と財政危機の結果、名ばかりの帝国が分裂しかけているのに何らまともな対策を打てない統治方法を改め、国家を財政危機と分解から救出するのだ、と。
たしかに彼の怜悧冷徹な策略がすべて成功すれば、そうなるかもしれなかった。だが、大公のあまりに自己中心的な思考スタイル・行動スタイルは、側近たちをも近づきがたくさせていた。