さて、少し時間を戻して、
クーデタ計画の日の朝、ヴァルターは大公の指示にしたがって大公の城館を訪れた。だが、クーデタに参加するためではなかった。皇帝の追い落とし策謀をやめて、権力の世界から引退するよう勧告するためだった。そして、ゾーフィー殺害事件の逃れようのない容疑がかけられていることも知らせるつもりだった。
ヴァルターを見たレーオポルトは、出発の準備をしろと命じた。だが、ヴァルターは拒否して、クーデタの策謀はすでに皇帝の手許に報告が届いていて、今や大公逮捕をめざす憲兵隊がそこに向かっていることを告げた。
すると、大公は「愚か者め、現皇帝の放漫財政と気まぐれな統治政策によって帝国は崩壊の淵にあるんだぞ。それを、あの幻影師の術策にはまって私の容疑をかけ、しかもクーデタの計画を漏らすとは」と叫んで、銃を自分の頭部に向けて発射し自殺した。
殺人事件とクーデタ未遂事件は決着した。
ヴァルターの気がかりは、アイゼンハイムの幻影術の仕かけ=カラクリを解明することだった。
幻影術の仕組みを考えながら街を歩いていたヴァルターのもとに1人の少年がやってきて、封書を渡した。
封筒を開けると、なかにはアイゼンハイムの幻影術の仕かけの設計図・構想図案を収録した小冊子が入っていた。レモンの種を植えると、またたくまに発芽し、数分のうちに葉と茎が成長して樹木になり、花が咲き、果実が実るという、あのイリュージョンのカラクリの説明も書かれていた。
しばしのあいだ、アイゼンハイムの幻影術のカラクリがわかって喜んだヴァルターだったが、ふとわれに返った。
少年は「あなたにこの封筒を手渡すようにある紳士から頼まれた」と言い置いて、走り去っていった。ということは、アイゼンハイムがヴァルターの居場所を知っていて、しかも「幻影術のカラクリを知りたい」と思っていることを知り抜いているということだ。
「私の心は、アイゼンハイムによってすっかり読まれている」
ヴァルターははっと気づいた。
「私はアイゼンハイムによってすっかり操られていたのだ。
レーオポルト大公に殺人容疑をかけ、クーデタの企てを皇帝に報告して大公を破滅に追い込むことも、彼によって仕組まれたことに違いない」
すると、ヴァルターの脳裏に、アイゼンハイムと出会ってからのできごとがフラッシュバックして記憶によみがえった。そして、1つの文脈に結びつけられた。
彼は幻影術を使って、ゾーフィーを仮死状態にしておいて、あたかも剣でのどを切られて殺されたかのように見せかけ、その容疑を大公に向けるように仕組んだのだ。
脳裏で目まぐるしく推理しながら、ヴァルターは駅に向かって走っていた。
「私を操っておいて、アイゼンハイムは鉄道に乗って逃げ去ろうとしている」
何とか捕まえようとしたのかもしれない。だが、間に合わなかった。というよりも、おそらく変装しているアイゼンハイムを見分けることはできなかっただろう。
ふたたび映像はカットバック=フラッシュバックとなる。
ヴィーンから逃げ去ったアイゼンハイムが、じつは生存しているゾーフィーが待っているオーストリアの山岳のなかにあるログハウスに到着し、ゾーフィーを抱擁する場面。
これは、消え去ったアイゼンハイムとゾーフィーのその後の姿であり、また、ヴァルターの想像でもある。
しかし、ヴァルターは、利用されてレーオポルト大公を死に追いやったことを後悔しなかった――たぶん彼の異様な権力欲を嫌悪していたのだろう。それどころか、「おいアイゼンハイム、みごとにやってのけたな!」と祝福したい気分だった。警視の顔には、微苦笑が広がった。