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1962年7月22日朝8時18分、ドゥゴール大統領夫妻を乗せたシトロエンと護衛を乗せた後続車が、パリ市街のプティクラマール通りを猛スピード(時速110km)で走り抜けようとしていました。
シャルル・ドゥゴールは、大統領特権をひけらかして、パリの通りを猛スピードで走らせることが何より好きでした。権力や権威の誇示が大好きな大統領でした。見栄えこそが国家の威信を固めるのだという信念でも持っていたのでしょうか。
この通りは、パリの大統領官邸(エリゼ宮)からヴィラクーブレ空港にいたる道筋にありました。
まさにそのとき、歩道の街路樹に身を寄せ待ち伏せていた男たちのマシンガンが火を噴きました。
銃弾の雨は、大統領の車を穴だらけにし、後部ウィンドウのグラスを粉々に打ち砕きました。
しかし、銃弾の一発は大統領の耳元をかすめたものの、奇跡的に乗員はだれも傷ひとつ負わなかったということでした。実際に起きた事件です。
翌朝から2週間ほど、この暗殺未遂事件は、世界中の有力紙の紙面を飾り続けました。
ところが、この大事件の捜査やその後の経過については、報道は封じられたままで、真相は闇の彼方に消えました。当時は、「国家機密」となれば、そんな権威主義がまかり通ったのです。
それから8年後、イングランドのジャーナリスト、フレデリック・フォーサイスは、実際に起きたこの暗殺未遂事件をもとにして、綿密な取材と検証を経て、《ジャッカルの日》を書き上げました。
事実のドキュメンタリー報道ともフィクションともつかない、この物語に織り込まれたできごとの多くは事実だということです。
国家機密という権威の圧力は、事件後8年間も、作家や記者に事件の真相解明を許さなかったのでしょうか。
その頃、事件について黙秘を守っていた関係者は、ようやくフォーサイスのインタヴュウに応えてくれるようになったということです。ただし、事実の断片や伝聞情報だけで、事件の本体をつかめるような情報は現在にいたるまで隠されたままです。フォーサイスは取材でつかんだ断片的な事実や状況から、おそらくはこんなできごとがあったのではないか、その後の展開はこうなったのではないか、と推定する物語を描き上げました。
この映画は、この《ドキュメント・スリラー》にもとづいて制作されました。
映画は、ドゥゴールの暗殺を請け負った超一流のプロの狙撃手とフランスおよびブリテンの公安・捜査当局とのあいだの息づまる闘いを描いています。