さて、暗殺を計画し実行してきたのは秘密軍事組織OASという団体で、フランス陸軍アルジェリア駐留軍の一部将校と兵士、フランス国内の右翼や植民地主義者たちから構成されていました。
彼らの言い分では、フランスはこれまで多大な犠牲と代償を払ってアルジェリアを維持してきた、これを無償で手放すのはフランス「国民の偉大な歴史」への裏切りだ、というものです。
たしかにフランス軍は、第2次世界戦争中、早期に本国をナチスに支配されるという厳しい状況下で、北アフリカに進出してきたドイツ軍と果敢に戦い、多数の将兵を犠牲にしてアルジェリアを守り抜きました。
しかし、現地住民にとっては、主要な利権はすべてフランスに奪われ、域内で生産された富の大部分は、首都アルジェに住むフランス系富裕階層によって吸い上げられるか、あるいは地中海を超えてフランス本国にもっていかれるか、という屈辱的な状態だったのです。
ゆえにフランス軍は、ナチスとの戦いが終わるや否や、FLN、すなわち現地住民の独立運動との戦いに直面したのです。
ドゥゴール政権は、しばらくはアルジェリア独立運動を徹底的に弾圧しました。戦線はアルジェリア全域に広がり、フランス国内の若者たちの多くは「国家のため」という名目で前線に駆り出され、無残に死んでいきました。
しかし、戦争の継続は国家財政の危機をいよいよ深刻化させる一方で、アルジェリアの独立運動はますます勢力を拡大していきました。そして、国内でも左派を中心とするアルジェリア独立支持派、反戦派が勢いを増していきました。もはや、国家として戦争を継続する利益はどこにも見出せなくなりました。
OASからすれば、独立容認は、「国益」のために死んでいった彼ら同胞に対する背信・背任ではないか、というのです。
しかし、彼らの言い分を通せば、まもなくフランスの国家財政は完全に破滅するでしょう。しかし、それでも、いずれアルジェリアを手放さざるをえなくなるのは明らかでした。
反乱派の軍人の多くは、第2次世界戦争以来、戦争と軍事組織のなかでの生活体験しかもたず、一般市民社会(経済社会)での生活をまったく経験したことがない人びとが大半でした。
ナチスとの戦争が終わった直後には、インドシナに派遣され、勝ち目のない戦局、過酷な熱帯・亜熱帯のジャングルやヴェトナムの農村地帯で戦い、それも敗れると、北アフリカの戦線に投入されてきました。
要するに、市民会の人間として扱われた経験がはなく、消耗戦に単なる戦争の道具として投入され、使い捨てられてきた「犠牲者」でもありました。ゆえに、追いつめられた手負いの猛獣となっていたのです。
アルジェ派遣部隊の兵員の多数派は、いきづまった戦局のなかで、戦争のむなしさを知り、本国陸軍司令部の撤退指示、その後の降伏勧告にしたがって反乱から離脱して本国に帰りました。
しかし、狂信的なイデオロギーに取りつかれた手負いの猛獣は、「裏切り者」ドゥゴールの殺害だけに生きる目的を見出していました。
7月22日の襲撃を指揮していたティリー中佐もまた、そんな妄執にとらわれた1人でした。