ジャッカルの日  目次
原題と原作
見どころ
あらすじ
プロローグ
アルジェリアの独立
ドゥゴール将軍
ドゥゴールと軍部
秘密軍事組織OAS
軍事ミュータント
追いつめられたOAS
現れた殺し屋
狙撃のプロ、ジャッカル
捜査当局、警護陣、情報機関
捜査当局とOASの情報戦
攻防のチェスボード
運命の分かれ道
当局の裏をかくジャッカル
新たな偽装
狙撃地点
事実とフィクションのはざまで
思わぬシーンが楽しめる
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信州まちあるき
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コーヒーものがたり
数学を楽しむ 学びの扉
英語への道案内

追いつめられたOAS

  この襲撃失敗ののち、少なくとも3回の暗殺計画が企てられましたが、いずれも官憲や情報当局に嗅ぎつけられ、実行前の段階で参加メンバーが捕らえられていきました。

  豪胆な、言い換えれば状況の変化に鈍感なOASのメンバーの言動は、容易に当局に補足され、メンバーの名前や支援者の情報が漏れ出ていました。
  しかも、拷問や殺害も辞さない、当局の乱暴な「容疑者狩り」に恐れをなした支援者や末端メンバー。彼らは、逃避あるいは離脱し、補縛ののち情報提供と引き換えに放免されていました。
  あるいは、OASの内部に残り、内通者として当局に協力する道を強いられました。

  プティクラマール通りでの大統領襲撃の首謀者、ティリー中佐もついには逮捕され、銃殺されました。
  次いでOASの作戦責任者、アントワーヌ・アルグー大佐も秘密情報機関によって捕縛され、司法警察に引き渡されました。
  これで、この組織の実戦部門は壊滅かと思われたのですが、彼の後任にはさらに強硬派のマルク・ロダン大佐が就任したのです。

  ロダンは、アルグーと違って、目的のためには手段を選ばない指揮官で、OAS内部の規則や慣行さえ平気で踏み破り、破壊や殺人を強行できる人物でした。軍人というよりもテロリストに向いた人物ということでしょうか。
  彼は、すでにOASの内部や連絡ルートに当局の手がおよんでいることを知り、次の暗殺計画は外部のプロフェッショナルに委託するしかないと決心しました。

  そのため、この作戦を組織に諮ることなく実行するために、組織の財務責任者と地下運動の指導者を呼びつけて説き伏せ、プロの狙撃者を雇う費用の調達、そして大統領府および捜査・警護当局の内部情報をつかむ方策を考案させました。

現れた殺し屋

  ロダンは世界中のプロの暗殺者を物色して、選んだ男にコンタクトを取りました。
  すると、やがて彼らの隠れ家に長身で年の頃30歳くらいのブロンドの美青年が現れました。

  その男は、落ち着き払った態度でロダンたちの状況判断と計画を解明してみせ、自分がおそらく最高の狙撃のプロだと言い切りました。それから、報酬は50万ドル(フランではない。当時、ドルはフランの3倍以上だった)を要求したのです。着手には前払い金25万ドル、成功報酬として25万ドルです。

  当時の日本円実勢相場では2億円以上、現在ならその20倍くらいの金額でしょうか。
  ロダンたちが半ば驚きのうちに承諾すると、その男は自分の作戦上の暗号名(コードネイム)はジャッカルとすることを申し出ました。そして軽口のように、「その資金の調達のために銀行襲撃でもしたら」とほのめかしました。
  
  その後、フランス各地では、銀行や現金輸送車、宝石店が頻繁に襲われ、何十万ドルにもおよぶ資金が奪われるようになりました。
  捕えられた容疑者たちはOASのメンバーで、金の使用目的は知らされていないようでした。

  こうして集められた巨額の金が前渡し金として、秘密ルートでスイスの銀行に送金され、ジャッカルの大統領暗殺計画は動き始めました。
  彼は単なる殺し屋ではなく、すこぶる高度な知性をもつ狙撃作戦の専門家で、ヨーロッパの主要国の言語をその地方による方言まで使いこなせるプロ中のプロでした。

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