フランス大統領の警護陣や捜査当局が、OASの主要メンバーを補縛して一安心している頃。ジャッカルは本拠があると思われるイングランドに戻り、予備調査と準備に取りかかりました。
ドゥゴールの著書や彼についての研究書を読み、彼の行動や発言を報道する各国の新聞を渉猟して、大統領の思考パターン、行動パターンを解読しました。
ターゲットの人物像、行動様式、心理についてイメイジをつくりあげると、行動を開始しました。
まず、30年ほど前に幼児のうちに死亡した男性の身元を偽装あいてパスポートを申請、取得。そして、すぐさまドーヴァーを渡り、ベルギー、次いでフランスに入りました。
ベルギーでは、裏の世界の専門家たちに偽名の身分証や運転免許証の作成と特殊な狙撃用ライフル銃の製造を発注しました。
パリでは、大統領が毎年慣例の大イヴェントのために訪れるいくつかの場所を検分しました。そして、周囲の建築物や道路、地理的環境を調べ、狙撃場所と逃走経路が確保できるか判断していきます。
シャンゼリゼのエトワール広場、戦没兵士聖堂、ノートルダム・ドゥ・パリ……。
彼がインスピレイションを得たのは、今はなき旧モンパルナス駅の周囲の「6月18日広場」でした。
この駅は、この映画が描いた事件の翌年、1964年に都市再開発のために取り壊され、新駅が旧駅から500メートルほど離れたところに建設されました。
その広場は、毎年、パリ解放記念祝賀祭の3日目に大統領が訪れます。戦争=解放闘争のために犠牲になった兵士の慰霊のために献花し、演説をする場所になっていました。
広場は商店やアパルトマンが間近まで迫っていて、しかもこれらの建物の裏手には狭い路地が縦横に走っていました。
狙撃場所と逃走経路が容易に確保できそうな条件にありました。
しかし、日中は、管理人のマダムがアパルトマンの玄関に居座って、観光客でにぎわう広場を見ながら編み物をするのが日課になっていました。
彼はマダムの行動を幾日か監視し、隙を見て最上階まで上り、広場に面した部屋の窓際に行き、家具を物色し、狙撃の場所と姿勢をイメイジしました。そして、特殊粘土で部屋の鍵の型を採ることができました。
「贅沢な観光旅行」ののち、ジャッカルはいったんロンドンに戻りました。
その間、ヴァカンスを楽しむデンマークの教師、アメリカ人大学生……、偽の身元を証明する何人ものパスポートを失敬しました。
が、パスポートの盗難・紛失はヴァカンス旅行者で込み合う夏のヨーロッパの名所の日常茶飯事。知らせを受けた大使館や領事館は書類手続きが終わると、書類を何の疑いもなく既決の引き出しに放り込みました。
次いで、特殊ライフル銃を引き取りに行って点検し、代金を支払い、試し撃ちで狙撃用望遠鏡の照準を調整しました。
偽造免許証の受け渡しでは、偽造屋が預かった資料を盾にゆすり(代金の吊り上げ)を仕かけてきたので、消してしまいました。
さて、狙撃に向けた作戦行動の開始地点としてジャッカルが選んだのは、イタリアのミラノでした。
アルファロメオのスポーツカーを走らせて、ミラノからジェノヴァを経由して海岸線に沿ってイタリア・フランス国境を通過し、カンヌまで行こうというのです。
スナイパーはパリに着実に近づいていきます。