一方、大統領を守る側は執拗にOAS狩りを続けていましたが、フランス国内ではこの組織はなりを静めています。
ロダンたち幹部3人は厳重な警護隊に守られてローマの建物に引きこもったままです。
この逼塞の意味を推量しかねて、当局はロダンの副官を拉致し、拷問の末に、どうやら外部のプロの狙撃者にドゥゴール暗殺を依頼したらしいことを突き止めます。
そこまでの荒々しい情報戦と組織壊滅作戦を最前線で担っていたのは、国外資料情報対策局SDECEです。
その任務は大別して、対外諜報活動と国内治安対策(対諜活動)で、いずれも破壊工作ならびに暴力をともなうことがあります。
その末端組織=現場で汚れ仕事、表向きにできない仕事を割り当てられるのは、多くの場合、コルシカの荒くれ者どもでした。
すなわちユニオン・コルスで、「コルシカ版マフィア」です。彼らはコーザ・ノストラ(シチリア・マフィア)のようには目立った暴力犯罪や活動はありませんが、はるかに執拗で凶暴だといわれています。
彼らもやはり第2次世界戦争末期に、フランス解放軍と連合軍の地中海側からのフランス解放とナチス掃討作戦に協力し、その見返りにコルシカや南部、あるいはフランス各地の都市の利権に食い込むことを黙認されました。
かくして、ヨーロッパの解放・民主化、そして反ナチズム闘争という「美しいスローガン」のもとに、組織暴力や組織犯罪が広範な市民社会に根を広げて、裏社会だけでなく表社会の利権を貪る仕組みが生み出されていったのです。
ともあれ、大統領暗殺をジャッカルという名のスナイパーがねらっている、という情報を受けて、内務相の指揮下、フランスの全捜査機関、軍、情報機関のトップが集まって、暗殺者の身元の割出しと追跡、そして狙撃の阻止のために対策会議を組織しました。
その結果、容疑者の追跡・捜査はその専門家、フランス司法警察が主導することに決まり、責任者はパリ警視庁のクロード・ルベル警視となりました。
この会議に結集したのは、CDECEと司法警察のほかに保安警察BSP、総合情報局RG、国家保安共和部隊CRS、国土警備局DST。CDECEとCRSは共和国軍の将軍が指揮していたので、フランスの治安・公安・軍・情報を担当する国家装置が結集されているといえます。