国民的規模で警察組織を統括するはずの警察庁は、内閣府の「外局」としての国家公安委員会に統括される。外局というのは、本局としての内閣府によって統括されるものの、組織として内閣府の外部に組織されていて独立の権限をもつという意味だという。
警察庁は、日本全域を地理的に8管区に分けて管区警察局を組織し、都道府県単位の警察組織を分掌統括している。首都東京は、明治期から日本の国家組織を形成してきた経過を引き継いで、首都として特別の管区をなしているが、そのほかの道府県は7つの管区警察局に統括される。
首都東京は、日本全体を統治する政治的中枢であり、中央行政官庁や企業の経営中枢が集中しているうえに、団体・企業などの法人数や人口が圧倒的に集積しているので、特別の権能を持つ警視庁がそれ自体ひとつの管区警察局として管轄する。
このように、警察庁は行政上の制度をつうじて日本全体の警察組織を束ねているわけだが、企画運営組織ではあっても犯罪捜査については実働部門をもたないので、もっぱらキャリア官僚制度をつうじて警察の経営を方向づけていることになる。
警視以上のキャリア警察官僚は、全国を視野に入れて人事管理をおこなう警察庁の人事政策にしたがって、都道府県の境界を越えて人事配置や異動がおこなわれる。これによって、警察庁は都道府県や地方単位の利害構造・人脈にキャリア官僚が捉われることを避け、また彼らに全国を視野に置いた警察組織の指揮や管理のセンスを身につけさせようとしているようだ。
だが、国家権力の強制装置を担う準軍事組織(国家装置)として日本の警察組織を観るとき、大きな欠点=弱点があることに気づく。
警察局、警視庁、各県警を横断的に統合する管理機構や情報経路が組織されていないことだ。
日本の警察は、過度の権力集中を避けるという理由で、制度的な横断構造をつくらずに、パースネル・キャリアとしての上級国家公務員である警視以上のエリート警察官を人事配置して、いわば全国的ネットワークを形成しようとしたらしい。ところが、官僚特有の県ごとの縦割り権限や人脈派閥によってキャリア官僚たちが分断されるので、ナショナルな組織としての体をなしていないという。
もっとも、日本の官庁組織ではとりわけ縦割り構造が強いので、都道府県警察を束ねる横断的な組織があったとしても、同じような結果になるかもしれないが。
それが、強制力を行使できるがゆえに抑圧装置にもなりうる警察を非集権化して市民的=民主的警察の組織形態としているのだといえば、それまでだが、建前重視で、犯罪捜査情報の統合や共有が後回し=置き去りになっているようだ。
さて、このドラマによく登場する湾岸署の課長――強行犯課とか生活安全課など――は、警部クラスから任命される。係長が警部補。課の捜査員すなわち刑事は巡査部長や巡査となる。一般的に所轄の署長は警視クラスで、重点となる所轄の署長は警視正クラスらしい。
一方、本庁では刑事部長が警視長クラス、刑事部の捜査課長が警視ないし警視正、係長が警部クラスらしい。
なお、われらが青島君は、最新の映画では係長で警部補になっていた。
そして、所轄管区で容疑者特定・捕縛までに時間がかかりそうな殺人事件などの「重大事件」が発生すると「捜査本部」が設置されるらしい。裏用語(つまり警察「業界」用語で)「帳場が立つ」というらしい。
捜査本部は法制度上、本庁の刑事部長が指揮・統括することになっているが、東京都で発生する犯罪事件の数は多いので、捜査一課長が捜査本部に出向いて捜査指揮にあたり、その実務は管理官が担うようだ。大がかりな事件や広域的な事件では、複数の管理官が捜査本部の統制実務を分担するという。