日本の刑事ドラマ 目次
日本の刑事・警察ドラマ
『踊る大捜査線』の眼差し
    官僚組織としての警察
    犯罪捜査の政治力学
    警察の官僚装置と組織運営
    捜査本部の組織と運営
    階級序列と捜査活動
『ハンチョウ』が描くもの
    安積班の組織運営スタイル
    班のメンバー
    そのほかの面々
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◆◆捜査本部の組織と運営◆◆

  重要な犯罪事件では所轄署に捜査本部が組織される。捜査本部は形式上、本庁の刑事部長が指揮することになっているが、実務的には刑事課長と管理官が派遣され、彼らが捜査活動の方針を決定する。
  『踊る大捜査線』シリーズでは、主人公の青島君が強行犯係に属しているので、ドラマに描かれるのは殺人や強盗、誘拐拉致などの強行犯事件に限られている。したがって、捜査本部は本庁の捜査一課が取り仕切ることになる。詐欺などの経済犯罪や知能犯罪については捜査二課が指揮することになる。

  このドラマ・シリーズでは、捜査本部を統括する実務を担うのは管理官(警視クラス)で、捜査一課長の監督のもとで捜査方針を立案し、捜査員の振り分けや行動について具体的な指示を出している。
  してみれば、警視庁や所轄の現場捜査員の主力をなす地方公務員としての捜査員たちの捜査活動を、「上から」上級国家公務員としての警視=管理官以上の階級が統括・指導するという構図になる。
  ここには、暗黙のうちに、というよりも明白に、国民国家の権力装置による地方行政の支配・統括という構図、権力構造が見て取れる。

  このドラマで描かれる捜査では、殺人などが発生・発覚しても容疑者は謎の場合が多い。そこで、捜査本部は事件の背景や犯行の動機、容疑者の絞り込みなどをおこなうことになる。事件の被害概要が把握されると、捜査は2つの方向に向かう。
  1つ目は、容疑者像を描き込むために被害者やその近親者・関係者の家族関係や職場関係など人間関係・人脈を調べて、利害の対立関係や対立・怨恨感情など事件の動機を持つ人物がいるかどうかを捜査する活動だ――「鑑取り」というらしい。2つ目は、事件の場所とその付近で事件前後の様子――平素と変わった人の出入りの有無、不審な人物を見かけなかったかなど――を調査する活動で、これは「地取り」というらしい。


■所轄による本庁の「接待」■
  さて『踊る大捜査線』では、湾岸署に捜査本部が立ち上がると、署長の指揮下での本庁エリートに対する卑屈なまでの「接待作戦」「阿諛追従」――言い換えれば「バカ殿よいしょ作戦」――が展開する。この作戦を指揮するのは、湾岸署の署長、副署長、そして総務課長の3人組だ。
  ドラマでは、警察官僚組織の内部での保身や出世を最優先するならば、本庁エリートをいかに優遇し卑屈に振る舞うか、つまり彼らの影響力や権力の優越を見える形で演出するかが、幹部連の腕のみせどころとなるわけだ。
  本庁のエリートの優遇するために所轄署の予算が使われる。たとえば弁当にさえ極端な扱いの格差があって、エリートたちには高級仕出し弁当が取り寄せられる。こういう支出は税金からまかなわれることを考えると、もしそれが喜劇的演出にとどまらず事実であるなら、由々しき事態だ。

  そのような本庁エリートと現場捜査員ないし所轄との階級序列や格差が犯罪捜査をめぐる組織運営にも影響をおよぼすことも描かれる。それが、ドラマを喜劇仕立てにするための演出や誇張ならいいのだが、現実なら悲惨な話だ。

◆◆上下格差と捜査活動◆◆

  犯罪捜査は事実を探り出す認識活動であって、権力関係の作用の場ではない。犯罪をめぐる状況ををできる限り多様な角度、視点から情報を集めて分析することが大事なわけで、そんな場でこの尊大と卑屈、阿諛追従、「よいしょ」がおこなわれたら、どうなるか。

  ドラマは、キャリア官僚の出世競争や足の引っ張り合いから出た、思い上がった、あるいは失敗を恐れる事なかれ主義、傲岸不遜で偏った判断などが、現場の捜査の足を引っ張り、混乱や紛糾を招く過程を滑稽に描き出す。われらが青島君たち所轄の刑事たちは、本庁幹部の傲岸不遜で一方的な態度に耐えながら、地道に捜査を進める。
  もちろん、これは「娯楽ドラマ」「コメディ」である。あることないこと面白可笑しく演出する劇なのだ、と見ることも可能だろう。

  しかし、人気を維持し、視聴率を獲得している事態をみると、この喜劇仕立てのドラマはシリアスな報道などでは描けない現実の「一端」を描いているのかもしれない。一般民衆・市民としての視聴者の刑事警察組織への目線や評価が高視聴率の土台となっている側面もあるかもしれない。
  テレヴィ局の報道部門では、警察担当(サツ回り)記者は警察の実態を暴露すると、そのあとは情報提供を受けられないから、警察の内情を報道することはないだろう。そこで、そういうサツ回り記者の本音がフィクションのドラマづくりに活用されているのかもしれない。
  ときどきマスメディアをにぎわすスキャンダルが、重い蓋の下に隠されてきた現実が噴き出すこともある、と告げている。

■日本のドラマが描く警察官僚=ステレオタイプ■

  以上のことからして、日本の刑事警察ドラマでは、幹部(上級警察官僚)は、紋切り型のステレオタイプとして描かれる。前例重視、出世競争での自意識過剰、現場の具体的捜査に関する無知、それと対照的な官僚どうしの駆け引きや競争についてのノウハウ過剰。
  一方で、現場の捜査員・刑事は個性的に描かれる。
  それは、ドラマの上での演出なのだろうか。それとも、作家(小説家、脚本家、演出家など)による警察組織の観察・分析の結果として、そうなったのだろうか。
  私見では、現実の警察組織の客観的傾向として、上級官僚の没個性化=ステレオタイプ化が著しいのだろうと思う。
  というのも、キャリア・エリートの評価システムとか出世競争のなかで、そのような思考様式、行動スタイルが大半の上級官僚に浸透していく傾向があるからだ。
  それは、警察に限らず、中央国家機関の文書として出てくる情報が、恐ろしく紋切り型で定型化されれいることからも、判断できる。定式化・定型化、前例重視の判断=行動様式こそ、彼らの権限と権力の維持・強化の要件なのだから。

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