『ハンチョウ』もまた、都内の所轄署の刑事課強行犯係に焦点を当てた刑事警察ドラマで、犯罪捜査をめぐる物語である。主人公は、神南署強行犯係〈安積班〉のメンバーだ。
このドラマでは、警視庁本庁による捜査活動への「官僚主義的介入」や「手柄横取り」は、背景の1つとして前提されてはいるが、それ自体としてはあまり描かれない。
むしろ、安積班のメンバーの人間像や個性、相互関係・ティームワークと絡めながら、犯罪捜査それ自体を丹念に描き出すことに主眼が置かれている。というのも、今野敏の原作小説があるから、そのテーマや作風そのものによって、そういう方向付けがなされるのは、当然だともいえる。
安積班のティームワークや組織としての動きを知るためには、ハンチョウの人物像や発想スタイル、行動スタイルを知らなければなるまい。
最近の日本の刑事警察ドラマでは、「刑事らしからぬ」キャラクターが主人公の座を占めている。このドラマでも、警部補で神南署強行犯係長の安積剛志が中心的キャラクターである。
もちろん、係長は監督職ではあっても管理職ではない。だから、安積警部補は班の責任者・指導者、まとめ役ではあっても、「いわゆる管理監督職」としての役割は意図的に避けているふしがある。警察組織の統制原則や運営原則からは相当にずれている。いや、意図的に逸脱している。
独特の感受性の一方で、抜けているくらいに大らかで、意識的にボケ気味の役を演じているのかもしれない。というのは、本来は鋭敏で攻撃的な側面を覆い隠すためかもしれない。
だが、安積自身と班の実績は飛び抜けて高い。班員=部下たちからは「ハンチョウ」と呼ばれている。この愛称には、部下たちからの尊敬と親しみの両方が込められている。
「俺はあまり大したことはしていないが、部下たちが優秀で活躍してくれる」というのが、彼の口癖だ。
ある意味では、今風の上司の理想像だともいえる。
ときどき鋭さや高い能力の片鱗を見せながらも普段はボケ役を演じ、部下たちの個性や能力が発揮しやすい状況、意見を言いやすい雰囲気をつくるというわけだ。
縦割り、上意下達、階級序列の優先という原理が幅を利かすという警察組織のなかでは、異色の存在ということか。
方針は明確に示すが、捜査をめぐる自分の悩みを隠さない。というのも、捜査の進め方や対象者をめぐる悩みは、事件の性質や状況に起因するものなので、それを部下に伝えることで全員で多角的に事件の性質や状況を分析・検討する方が効果的だということを知っているからだ。
安積は捜査の悩みを部下たちに知らせる独特の方法や雰囲気を持っていて、部下たちは個性を発揮しながら、事件の分析やら捜査の進め方などについてハンチョウをフォロウし班組織の動きを活性化する。
私は企業社会で「管理職(上司)とは部下たちが働きやすい環境をつくる雑用係である」という薫陶を受けて育った。社長は雑用係の親玉だ」と。
働きやすい環境づくりとは、組織の目標を明確にする――その目標を組織全体の戦略目標に組み込む――ことで、ユニットのメンバーの役割・目標を明確にできること、とか、上司が自分の地位=首を賭けて責任を負う覚悟を持つこと、風通しのよいコミュニケイション環境、つまり部下や同僚が意見や提案をしやすい環境をつくることなどだろうと思う。
そんな経験から、私は安積のやり方に共感を覚える。安積警部補は、庶民が「かくあれかし」と望む刑事なのだ。
さて話を戻して、
安積警部補が、冤罪で(刑が確定し)服役している女性のために、警察組織の利害に逆らって、再捜査を進めるというエピソードがあった。このことからもわかるように、彼は反骨漢である。組織の利害やメンツよりも、あくまで自分の倫理観や正義感、使命感を大事にするという点で突出した個性を持つ。
もっとも、そういう主人公設定にしないと、警察による犯罪捜査の特徴も限界も明示的に描き出せない。そうなると、一般視聴者から見て面白みがない。ということになるから、実際の警察組織の実態には合わないかもしれない。これは、警察ドラマの宿命かもしれない。