このシリーズでは、加賀恭一郎は人事異動によって日本橋署に新たに赴任してきたことになっている。それゆえ、署にも日本橋という近隣コミュニティにも「新参者」ということになる。
ところで、いまどき住民の流動が激しい都心部にあって「新参者」というような用語=カテゴリーが使えるのだろうか、という疑問がわくのだが、日本橋という街・場所には何となく使えそうな気がするから不思議だ。つまり古くから存在する濃密な人間関係や規範などがあるがゆえに、外部からこの街に入ってきたものは自分を「新参者」と感じるというような……。
さて、加賀警部補は着任早々、日本橋の老舗のからくり人形店の若店主の母の交通事故をめぐる捜査で、卓越した洞察力を披露した。ドラマはこの冒頭の場面で、加賀の犯罪捜査員としての能力の高さを描き出す。
ところが、その直後に発生した小伝馬町のマンションの一室で三井峯子が殺害された事件の捜査をめぐっては、加賀は事件の核心に直進するのではなく、事件関係者のいわば周辺的な捜査を繰り返しながら、界隈の人びとの人間関係、それゆえまた人情の機微に立ち入っていくことになる。9回シリーズということもあってか、このドラマはそういう加賀の独特の動きを追いかけることで、日本橋界隈の人間模様を描いていく。
少なくとも原作小説では、東野は日本橋界隈の人びとの生き様や人間関係を主題の1つとして描きたかったのかもしれない。
それにしても、そんな捜査スタイルを取る加賀は、捜査主任の小嶋警部から「余計な問題にばかり首を突っ込みおって、捜査が進捗しないやないか」という評価をくらうことになった。
その加賀とコンビを組みながら、彼に振り回される役回りであるかのように見えるのが、松宮警部補。
警視庁本庁の捜査一課のいわばエリートコースに乗ったばかりの青年刑事。だが、加賀と松宮は従兄弟どうしで、加賀の父親の妹の息子だ。
血のつながりがあるせいか、それとも松宮の父親代わりだった加賀の父――有能な刑事だった――への恩義のせいか、松宮は加賀の自由な動きを許容する。
小嶋警部は、今回の事件の捜査陣メンバーたち――ことに加賀と松宮だが、この2人だけではない――の「好き勝手」に見える動きに悩まされているようだ。しかし、その裏では加賀たちに厚い信頼を寄せている節がある。刑事たちの個性の発揮こそが、事件の捜査を推進する原動力だと腹をくくっているのかもしれない。
その扱いにくい刑事の1人が、上杉だ。彼は単独で、被害者の家族の調べに固執し続ける。
ところでシリーズでのキイワードは「嘘」。
人は嘘をつく。自分を守るために。他人を欺くために。あるいは、他人をかばうために。街の人びとは、必要に迫られて嘘を使いながら生きている。小さなウソは、家族や友人、恋人などとの絆を守るために、必要に駆られてのものだ。
加賀は下町の人びとの暮らしや生業、人間関係のなかで発見した嘘の背後にある状況を解明していく。その過程は、人びとの人情の機微に触れるもので、思わずホロリとさせられる。
江戸の町の「捕り物帖」のような粋を感じさせるのだ。
それでは、回ごとに物語の展開を追ってみよう。