ミッション 目次
原題について
考察のテーマと見どころ
あらすじ
物語の歴史的背景
ミッションの物語
ガブリエル神父
奴隷商人メンドーサ
アルタミラーノ枢機卿
インディオとともに生きた修道士たち
ガブリエルという名
南アメリカの「イエズス会布教区」
布教区の滅亡
イベリアの諸王朝の成り立ち
レコンキスタ
ヨーロッパの軍事的・政治的環境の変動
強大な諸王権の出現
ハプスブルク王朝の「大帝国」
できそこないの「フランケンシュタイン」
「国家」が存在しない時代
王権や王国の実態
それでも立派な見栄え
帝国の分裂と反乱
財政危機の深刻化
教会組織の地位とイエズス会
ポルトゥガルの事情
財政危機の深刻化

布教区の滅亡

  この布教区の形成は1550年代から始まり、18世紀に繁栄の頂点を極めた――30区あまりに達したという――が、1750年代の終わりに消滅していきました。
  17世紀末になるとイベリアの諸王権は衰退してしまいます。ブリテンやフランスなどの新興の強国の圧迫と世界市場進出の前に、エスパーニャ王権とポルトガル王権は植民地帝国の再編を迫られていました。
  ヨーロッパ世界経済の権力構造の転換が進んでいきます。

  この世界システムの権力体系の再編とは、つまり、イベリアの諸王権が衰退する一方で、ブリテンとフランスとの覇権争奪戦が展開するヨーロッパの経済に南アメリカをより深く結びつけ、より過酷に収奪・支配しようとする動きです。この動きのなかで、イエズス会のインディオ布教区は攻撃、破壊され、消滅していったのです。

  かつてはポルトゥガル王国を併呑したハプスブルク王朝エスパーニャですが、17世紀をつうじてヨーロッパ各地(30年戦争のドイツ中欧やネーデルラント、イタリアなど)に巨額をつぎ込んで兵を送り込んだあげく、敗北を喫し財政破綻に陥りました。反乱が続発して王国は分裂し、17世紀末には王位継承者を失い、フランス王の分家に王位を奪い取られてしまいました。

  この映画は、1750年代の状況を描いています。
  財政破綻に直面したエスパーニャ王室が南米の植民地をボルトゥガル王室に売却・譲渡したために、イエズス会布教区の1つが追いつめられ、滅亡にいたる局面を――そのなかでの修道士の活動に焦点をあてて――描いた作品なのです。
  この悲劇の背景には、エンニオ・モリコーネがミサ曲を編曲してつくった美しいメロディ――《 On Earth As It Is In Heaven :この世に天界のような楽園を》《 Gabriel's Oboe :ガブリエルのオーボエ》――が流れ、歴史の皮肉と哀切をいっそう盛り上げます。

  この悲劇的な結末にいたる経過をローマ教皇に語りかけるのは、アルタミラーノ枢機卿です。
  彼は、エスパーニャ王権と教皇庁の意を受けて、1752年に布教区に派遣されました。枢機卿派遣の目的は、イエズス会修道士たちを説得してこの地から退き上げるさせ、この植民地領の売り渡しと統治権の移行を円滑に進めるためでした。
  布教区を含む地帯は、莫大な補償金と引き換えに、エスパーニャ王権からポルトガル王権に譲渡されることになっていたのです。

  この地帯の譲渡は、1750年のマドリード条約によって取り決められていたものです。
  アルタミラーノは、その後、1758年まで現地にとどまり、イエズス会士の説得や配置転換、帰国の手続きを進め、また各勢力との交渉をおこなったようです。
  けれども、イグアスの滝の上流部にあるグァラーニ族の集落をめぐっては、修道士たちの説得には失敗しました。修道士たちは布教区に踏みとどまりました。
  その結果、反乱者と見なされて、エスパーニャおよびポルトゥガルの植民地支配者の攻撃を受け、多数のインディオとともに修道士は全員殺戮され、集落は破壊されてしまいました。

  この年、枢機卿はなかば失意のうちにアスンシオンに帰還して、ことの次第を教皇に報告する書簡を口述筆記させました。この報告が伝える「いきさつ」と「できごと」がこの作品の物語を構成しているのです。
  ただし、実際の歴史では、グァラーニ族集落の建設から滅亡にいたる過程は、1550年代から1750年代までの200年間におよぶ時期にわたっています。
  映画は、この長い歴史を1750年代のできごととして(わずか10年以内の期間に)圧縮して描いているのです。

  イエズス会といえば、「歴史教科書」では、16世紀から18世紀のヨーロッパで、とりわけエスパーニャ王の支配地・属領(ネーデルラントやイタリア)で、プロテスタント派の教会改革に対抗して、「反宗教改革」を推し進めた「保守反動」派として描かれています。
  とりわけ16〜17世紀、エスパーニャ王権の支配からの分離独立革命が展開したネーデルラントでは、独立派=プロテスタント派市民に対して過酷な「異端審問」で弾圧(苛斂誅求)していたのは事実です。

  ことほどさように、ローマ教会組織、ことにイエズス会はエスパーニャ王国の統治システムの枢要な構成部分をなしていたのです。それゆえまた、王権の権力や政策、植民地経営についても、きわめて大きな影響力=権威をおよぼしていました。
  そういう組織の最前線に赴いた修道士たちが、南アメリカの植民地でインディオの尊厳を守って本国やヨーロッパの強国に立ち向かったのです。それはなぜか、また、どのようないきさつがあったのでしょうか?
  この疑問もまた、時代を少なくとも16世紀にまでさかのぼらなければ、「答え」が見つからないでしょう。

  私が考えるに、南米の植民地に命をかけて布教に赴く修道士は、真摯な理想に燃えていたので、植民地でのインディオのあまりに悲惨な境遇に義憤を感じたからではないでしょうか。

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