18世紀、南アメリカ大陸のエスパーニャの植民地の都市、アスンシオン(今日のパラグァイ)。
荒くれ者の騎士、ロドリーゴ・メンドーサは、女をめぐる争いごとが原因で決闘のあげく、弟を殺してしまった。罪悪感に苛まれていた彼は、贖罪のためにガブリエル修道士の森林地帯への伝道活動に参加することになった。
ロドリーゴは自ら進んで苦難を引き受け、修道士になった。
修道士たちは、熱帯森林の住民=インディオたちを集めて集落を建設していった。修道士たちはインディオにヨーロッパの文化やキリスト教を伝え、彼らをヨーロッパ人植民者の暴力・圧迫や収奪から守るために奮闘した。
やがて集落共同体は豊かで穏やかな「地上の楽園」になり始めた。だが、集落の文化や富は、貪欲で残忍な植民者を呼び寄せてしまった。
一帯の支配権はポルトゥガル王権に売り渡され、エスパーニャ王権がインディオ原住民に与えていた保護は撤回された。こうして、支配地を拡大しようとする現地政権と植民者たちの容赦ない迫害と攻撃が始まった。
ガブリエルら修道士はインディオを擁護するため、帰国命令を拒否して非暴力を貫いて抵抗する。贖罪のために剣を捨てたロドリーゴは、インディオを守るべく、ふたたび剣を取って戦った。
しかし衆寡敵せずで、村落には砲弾・銃弾が降り注ぎ、全修道士は多くのインディオとともに殺されていった。美しい熱帯森林のなかの共同体は、血で染め上げられて破壊されてしまった。
この作品は、1980年代半ばにブリテンで制作された映画で、その頃おりしもラテンアメリカでは、《解放の神学》派の神父たちの活躍が世界に報道されるようになっていました。
この物語の奥には、数世紀前に起きた近代世界システム=資本主義的世界経済の権力構造の転換が潜んでいます。その歴史的背景を探ってみましょう。
17世紀後半、エスパーニャ王室財政は、戦争による濫費が続いて破綻し、王国は分裂してしまいました。混乱と財政危機のなかで王権は、南アメリカ植民地のかなりの部分をポルトゥガル王権に売り渡しました。
エスパーニャ王権は「公式」には、原住民をキリスト教神学の教義にもとづいて、インディオを「臣民」として保護することになっていました。
ところが、アメリカ植民地行政のために送り込んだ役人たちは植民者と結託して、本国王権の統制を無視して、私利私欲を血眼になって追求していました。
彼らの暴力と搾取をかろうじてわずかに食い止めていたエスパーニャ王室の防波堤が、ポルトゥガルへの支配権の移譲によって完全に崩れ去りました。こうして、際限のない過酷な支配と収奪の暴力が「自由化(規制緩和)」されました。
抑圧され収奪される原住民は、過酷な運命に打ちひしがれ、多くは疫病や飢餓、栄養不足などで死んでいきました。この人口(労働力)減少のために、やがてアフリカ原住民を「奴隷」として南北アメリカに送り込む奴隷貿易が活発化したのです。
さて、宣教のために派遣されたイエズス会修道士たちのなかには、植民者の横暴とインディオのあまりの悲惨さに憤り、現地役人に抵抗し、本国に救済を訴える人びとがいました。
《解放の神学》の源流がここに湧き出しました。
熱帯森林のなかにイエズス会修道士たちとインディオがともに建設したいくつもの「地上の楽園」が、植民地支配者の残忍な武力攻撃を受けて滅亡していきました。
多くのインディオ(女性も子どもも含めて)殺戮され、集落は焼かれ、生き残った人びとはふたたび密林の奥に姿を隠してしまいました。逃げ遅れたインディオは奴隷化されていきます。
彼らは、エスパーニャ王権とポルトガル王権、そして現地支配者たちの権力と利権をめぐる政治的取引きの犠牲とされたのです。