都市在住の騎士は、エスパーニャでは「カバリエーロス・ビリャーノス(caballeros villanos)」と呼ばれます。有名な物語の主人公、ドンキホーテ・デ・ラマンチャもそんなひとりです。
アメリカ大陸植民地にも身分制は移植され、そういう身分=階層の人びとがいました。
その1人、ロドリーゴ・メンドーサは傭兵隊長にして剣の達人。アスンシオンの行政当局に賦課金(税金)を払って奴隷取引きの特権を得ていました。おのれの力に任せて、欲望の赴くままに富を追求する荒くれ者です。
ところが、ある美女をめぐる三角関係のもつれが原因で、弟から決闘を挑まれ、ロドリーゴは争いのなかでやむなく彼を刺し殺してしまいました。弟殺しの悔恨に打ちのめされたメンドーサは、町の修道院に閉じこもってしまいました。
そのメンドーサに贖罪の苦行として、布教活動に同行するように勧めたのが、熱帯森林から街に戻っていたガブリエル修道士だったのです。
グァラーニ族の集落に向かう峻厳な道の途次、ロドリーゴは自らを重く罰するために「贖罪の重荷」を背負い続けました。
自分の武具甲冑をひとまとめにして網で括った重い荷物を、険しい山道を登るとさえも背負い続けました。まるで十字架を背負うように。あるいは、死地を求めていたのかもしれません。
ところが、集落を目前にした滝で、ロドリーゴは荷物の重みに負けて落下して宙吊りになってしまいました。
それを救ったのは、グァラーニの少年です。
滝に取りついて近づくや、ロドリーゴの身体と荷物を結ぶ綱をぶった切って、荷物を滝つぼ深く沈めてしまったのです。
驚いたロドリーゴですが、少年の無邪気な笑顔に、思わず苦笑し、その瞬間に村人に溶け込んでしまいました。全身ハリネズミのような険悪な雰囲気が、一気に吹き飛んだからかもしれません。
村には何人ものイエズス会修道士が活動していました。メンドーサもその仲間に加えられました。武器を失ったロドリーゴは、見習い修道士となりました。
おりしもその頃から、アスンシオン近辺では、エスパーニャとポルトガル双方の植民者たちが、マドリード条約にしたがって布教区をブラジルに早く引き渡すよう強く要請し、武装を強化していました。
というのも、エスパーニャ王権の統治権がなくなれば、原住民の保護がなくなり、インディオを奴隷化したりして酷使・搾取できるようになるからです。植民者たちは力づくで所領を獲得し広げて、所領内の原住民を支配しようともくろんでいたのです。
エスパーニャからボルトゥガルへの布教区の譲渡をめぐって、植民地当局・支配者とイエズス会の摩擦を解消するために、エスパーニャ王権と教皇庁双方の意向を受けて、アルタミラーノ枢機卿が現地に派遣されることになりました。
枢機卿は布教区とその近隣の都市を視察しながら、妥協点を探りました。が、修道士たちと現地エリートとの対立を緩和することはできなりませんでした。
そこでついに、アルタミラーノ枢機卿が聴聞法廷を開き、当事者を集めて意見を聞き、裁定をくだすことになったのです。
聴聞法廷で、奴隷商人の悪行を残忍さを、自らの経験(悔悟)をもとにして、鋭く告発したのは、ロドリーゴ・メンドーサです。しかし、彼は、現地の統治者と領主から侮辱・誣告(あらぬ罪を他人になすりつける罪)の非難を受けてしまいました。
とにかく、結論は南アメリカに到着する前に決まっていました。
ローマ教会とイエズス会本部は、最有力のカトリック王権であるカスティーリャ王家の要望を受け入れるほかに道はありません。
イエズス会は、王権と良好・密接な関係を維持しながら、エスパーニャ王国および広大な植民地帝国の版図のなかで支配装置の一環として大きな特権を与えられていました。
支配装置としての権威を保ちながら教会活動や布教活動を続けるためには、南アメリカの布教区のポルトゥガルへの譲渡を「円滑に執行する」ことが条件だったのです。
結局、アルタミラーノ枢機卿は、布教区のブラジルへの引渡しとイエズス会修道士の撤退を決定しました。そして、グァラーニ族集落に滞在する修道士全員に引き上げを勧告(むしろ命令か)しました。
エスパーニャとポルトガル植民地(ブラジル)の軍は、これで「信仰上の罪悪」や「道義的非難」を恐れることなく、大っぴらに、布教区の集落を襲撃し破壊し、掠奪することができるようになったのです。