だが修道士たちは全員が、イエズス会の勧告を拒絶しました。
そして修道士たちは、インディオ全員に、「この地に神はいなくなった、神の祝福は失われた。だから、森林に帰るように」と説得しました。
暴虐な植民者たちの軍隊が押し寄せてくるので、危険だというわけです。しかし、インディオは拒否して、修道士たちとともにヨーロッパ人と戦うことを選びました。
戦うとはいっても、銃法で武装して攻めてくるヨーロッパ人を相手に、何ほどの抵抗ができるでしょうか。
ここに、1750年代末の悲惨な「グァラーニ戦争」の火蓋が切って落とされたのです。実態は戦争ではなく、虐殺でした。
修道士たちは「神から見放された地」に踏みとどまり、それぞれの正義感と信仰、信念のもとに、あるいは特技を駆使して、インディオの擁護のために行動することになりました。
とはいえ、戦う術を学ぶことがなかった人たちです。
ある修道士(キャスト:リーアム・ニースン)は、インディオの小舟に乗り込んで軍隊を攪乱したのですが、兵員数と武器の性能にまさる軍によって追いつめられ、殺されてしまいました。
ロドリーゴ・メンドーサは捨てたはずの剣をふたたびとりました。
かつて崖に宙吊りになった彼を助けるために、武具を詰めた荷物の綱を断ち切った少年が、滝つぼから剣を探し出してきて、彼に手渡したのです。ロドリーゴは、もはや戦うことをやめると誓ったのですが、少年の強く懇願するような視線を受け止めたのでしょう。
ガブリエル修道士は、武器と暴力による抵抗を拒否し続けました。
あくまで静穏に、教会に集まった村人とともに抵抗の意思を示しながら歩み続けようとしたのです。
彼の表情には、「神のいない地上であるなら、もはや生き続けて何の意味があろう!?」 という強い懐疑と絶望が込められていたかに見えます。
軍隊はしだいに集落への包囲網を狭めていきました。
はじめのうちは、インディオの待ち伏せ・奇襲戦が奏功したものの、兵力と兵器性能の差はどうしようもありません。インディも修道士も、次々に、飛び交う銃弾に打ち倒されていきます。
やがて、集落の建物の焼き討ち、破壊、掠奪が始まりました。そして、兵たちは、村にとどまる無抵抗のインディオたち(多くは女性と子ども)に銃弾を浴びせていきました。
ロドリーゴは、小川にかかる橋で立ち往生した子どもたちを助けにいったところで、銃弾を浴びました。さらなる銃弾が彼の肉体を切り裂き、彼はついに倒れ伏したのです。
そのとき、ガブリエルは、村人といっしょに教会から広場に向かって行進を始めたところでし。その列を、銃弾の雨が切り裂き、なぎ倒していきます。ついに、ガブリエルも、のどもとを打ち抜かれてくず折れました。
死にゆくガブリエルを見つめながら、ロドリーゴも永遠の無意識に落ち込んでいきました。その顔は、しかし穏やかでした。兵士・奴隷商人から修道士に転身して、インディオの保護に挺身したメンドーサは、ついに「魂の救済」の機を得たのかもしれません。