ゴジラ & 怪獣映画 目次
考察の視座と課題
はじめに
怪獣映画と私の少年時代
1954年版ゴジラをめぐる問題
ゴジラのスペック
日本の軍事的環境
対ゴジラ軍備と安保条約
特撮映画と戦争
84年版ゴジラと日本の軍事的環境
ゴジラとの戦い
日本の軍事的環境
ファンタジーとしての怪獣映画
広島とフランケンシュタイン
リヴァイヴァル後のゴジラ
ゴジラ対ビオランテ
ゴジラ対キングギドラ
タイムパラドクスのパラドクス
怪獣が破壊した建築物をめぐって
最新高層ビルの「洗礼

ゴジラのスペック

  ゴジラなどの怪獣は、人類のごく限られた科学的知見のはるか外側にある神秘とロマン――未解明のことがらをこういう美しい言葉で曖昧化するしかない――の存在だ。
  とはいえ、白亜紀以前には、体長30メートルを超える巨大な生物=恐竜類がいたことは、化石学や古生物学が証明している。それでも、体重は数十トン止まりだ。
  54年版ゴジラは、体高50メートル、全長100メートル。体重は5万トンという情報がまことしやかに流されているが、これは間違いだ。海を泳ぐことができることから、身体の密度=比重は人間と同じか、あるいは哺乳類の20%増しの密度くらいか。身体内にウラニウムや――その原子核が核反応で分解してより軽い原子核になるので――プルトニウム、ストロンチウムやセシウムなどの放射性超重金属を複でいるとか、さらに軽くなって・・・コバルト、鉄あたりまでの金属が普通の生物よりは多く含まれていると仮定してのことだ。、
  であるなら、体重は9千トン前後だろう。もし5万トンなら、密度は8くらいで、鉄程度の金属の塊と同じ密度になってしまい、海底を離れて浮き上がることは不可能だ。動物の筋肉で動かすことができる身体ではなくなってしまう。
  そうなれば、堆積層の東京沖はおろか東京湾の海底を歩いて渡ることもできない。海底の泥の深みにはまって、東京上陸はできない。物語が成り立たない。
  柳田某氏の『空想科学読本』のように厳密に「科学的」に分析しなくても、この程度のことは言える。要するに、映画の提供者側の、あるいはマスコミの提供した情報が間違いなのだ。なにしろ、フィクションにしろあの巨大怪獣の体重を計測した者はいないのだ。

日本の軍事的環境

  ところで、ゴジラが登場した年、1954年は、日本の安全保障や軍事的環境が目だって転換した時期の最終局面だった。
  すでに第2次世界戦争直後から、アメリカおよびブリテンに率いられた西側陣営とソ連(とこれに占領支配された東欧)との対立構造=冷戦が始まっていた。
  1949年には中国で共産党が政権を掌握し、人民共和体制が樹立され、アメリカに対する対決姿勢を明白にした。翌年、朝鮮戦争が始まった。
  アメリカの世界戦略ないし冷戦政策において、社会主義や共産主義の影響力との闘争のためには、日本は東アジア=極東における前線基地=拠点として位置づけられることになった。これに対応して、アメリカによる日本の占領政策・民主化=再建政策は大きく転換した。つまりは、「リベラル化」から「保守化」への転換だ。
  1954~55年は講和条約と安全保障条約体制がしだいに固まって、アメリカ主導の軍事的同盟の参加国として日本が国際社会に復帰していく局面だった。日本国家は武装解除から限定的な武装化へと転換した。
  アメリカはここまでは、新憲法の制定をつうじて日本の「リベラル民主主義」と「武装解除(自主的交戦権の排除)」を進めておきながら、その変革の流れを逆転させるようなレジームづくりを露骨に開始した。
  その原因には、世界情勢、国際関係だけではなく、日本の国内情勢もあった。世界的規模での「社会主義」や「左翼民主主義」「民族解放(旧植民地の独立)」などの動きに影響を受けて、民主化や労働運動の自由化が進んだ日本でも、左翼や社会主義者の運動が活発化していたのだ。

  まず、治安担当の軍事組織として警察予備隊が組織された。1950年には、共産党や社会党左派を公職から追放するレッドパージが繰り広げられた。翌年には、日本をアメリカよりの主権国家として国際的に認知するために、サンフランシスコ平和条約=安全保障条約(アメリカとの軍事的講和と軍事同盟)を締結。これは、1954年に相互安全保障協定( Mutual Security Act )に発展する。
  この間、52年には警察予備隊は保安隊に改組され、警察機能よりも軍隊組織としての性格を備えるようになっていた。この組織は、54年には、自衛隊となった。
  それは、日本の自発的な防衛上の要請というよりは、朝鮮戦争や冷戦構造において、国内にあまた散在するアメリカ軍基地の周囲の治安維持や後方防衛のためだった。そこに、ここぞとばかり、敗戦前からの戦争屋や特務機関関係者、旧日本帝国軍中枢の残存勢力が、自分たちの生存余地を見出したのだ。
  歴史は、過去の残骸の上に、つまり腐り始めた遺骸を苗床として、「新たな形態」をまといながら、築かれる。

  法制史的には、日本の自衛隊はアメリカ軍の周辺警備を担当する武装警察組織として組織された。で、憲法上は軍ではない・・・。この性格規定はその法制的に変更されたのだろうか。もし、そうでないなら、現安倍政権が提起した安保法は法的になんらの実効性をも担保できないことになる。とにかく、日本の法体系は、軍事安保だけでなく、いたるところに論理的破綻が生じているのだ。まあ、実際の法制度というものは、どこでもそんなものだが。

  そして、この年、ビキニ環礁での水爆実験。
  政治的には、保守右派の政党が合同合併して、自由民主党への統合の動きが始まった。「55年体制」への歩みだ。
  こうして、公式の制度上の「占領状態」からはしだいに脱していったが、東京や国内の主要都市・港湾・空港の近辺には数多くのアメリカ軍の基地が配置され、その軍事力が日本の政治・経済・文化の「喉もと」を扼さんばかりの圧迫をおよぼしていた。

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