ゴジラ & 怪獣映画 目次
考察の視座と課題
はじめに
怪獣映画と私の少年時代
1954年版ゴジラをめぐる問題
ゴジラのスペック
日本の軍事的環境
閑話休題コメント
対ゴジラ軍備と安保条約
特撮映画と戦争
84年版ゴジラと日本の軍事的環境
ゴジラとの戦い
日本の軍事的環境
ファンタジーとしての怪獣映画
広島とフランケンシュタイン
リヴァイヴァル後のゴジラ
ゴジラ対ビオランテ
ゴジラ対キングギドラ
タイムパラドクスのパラドクス
怪獣が破壊した建築物をめぐって
最新高層ビルの「洗礼

ゴジラとの戦い

  この危機に際して、合州国とソ連は共同して日本の首相に、3国合同の対ゴジラ対策会議の開催を求めた。アメリカとソ連の特使と日本の首相の3者の協議会がおこなわれ、2つの超大国はゴジラが東京に上陸した場合、開発したばかりの戦術核兵器による攻撃の許可を首相に迫った。
  何と、アメリカの戦術核ミサイルは沖縄の嘉手納基地に配備済みだという。そして、ソ連は東京湾に衛星核ミサイルの発射誘導装置を設備した貨物船を停泊させていた。両国の軍部は、東京は、先進国の巨大都市での戦術核兵器の実地使用試験の場として最適だと考え、使用したくてたまらなかったようだ。
  首相はのらりくらりの逡巡を見せたのち、決然として、核兵器の使用の不許可を宣言した。

  少なくとも映画などの大衆文化の次元では、歴代政府が公式に表明してきた「非核3原則」というものが、極東の軍事的環境のなかでは「空証文」となっているという状況認識が幅広く流通しているということを意味しているのかもしれない。

  その後、ゴジラは東京湾に侵入、やはり晴海埠頭付近から上陸した。そして、これまた晴海通りを日比谷、霞ヶ関方面に向かって進む。有楽町では、ゴジラは地下鉄の天井=路盤を踏み抜き、東宝マリオンのビルディングを破壊した。予算をケチった東宝への面当てか?。
  ところで、このマリオンにも見られるように、1970年後半から80年代に東京ではビルディングの高層化が飛躍的に進んだ。150メートル以上の建物があちこちに建てられた。そこで、ゴジラの見栄えというか存在感を、ビルの高層化に合わせて巨大化することになった。このとき、ゴジラの体高は80メートル、全長200メートル(尾の部分が112メートルだという)に設定された。
  これくらいのスペックにしないと、高層ビル群のなかでは、ゴジラの大きさが表現できなかったようだ。

  このあとゴジラは、有楽町の高架鉄道設備をぶち壊し、のこのこ近づいてきた新幹線特急をつかみ上げ投げ落とす。東京駅の目の前の有楽町にゴジラがいるのに、まさか特急を発車させるわけがないのだが、54年版ゴジラのパロディか。そして、首相官邸付近を通り抜けて新宿西口の高層ビル群までやって来た。
  このとき、自衛隊のスーパーXとの戦いを迎える。スーパーXは、ゴジラの口のなかにカドミウム弾頭ミサイルを打ち込み、ゴジラの体内での核反応を抑制して、活動エネルギーを封じ込めて、眠り込ませてしまった。

  だが、ゴジラが東京湾運河を破壊したときに、ソ連の貨物船に被害を与え、その衝撃でソ連の核攻撃衛星の核ミサイルの発射スイッチをONにしてしまった。このミサイルは、すでにゴジラを照準とする巡航軌道の解が入力されていた。そのため、核ミサイルは新宿西口上空に向かって飛び続けた。
  ソ連政府からこの事態の報告を受けた日本政府は、合州国にSDIによる迎撃核ミサイルでソ連の核ミサイルを打ち落とすよう要請した。一方で内閣は、東京の住民を地下街や地下鉄設備に避難させた。
  沖縄嘉手納のアメリカ軍基地のサイロから迎撃核ミサイルが発射され、東京上空の大気圏外でソ連のミサイルを破壊した。だが、そこで核弾頭は爆発し、強い電磁波が日本を襲った。
  その衝撃で、あるいは電磁波のエネルギーを受容して、ゴジラは目覚めた。

  結局、ゴジラは、帰巣する鳥の鳴き声から析出した超音波に誘導されて、東京を後にして伊豆大島に渡った。そして、火山の火口付近まで到達したところで、仕かけられた爆薬で足場を崩され、火口に落ちていった。とはいえ、死滅したわけではなく、溶岩とマグマのなかで永い眠りについたのだ。
  まあ、水爆――つまり核分裂よりもさらに激烈な核融合――の爆発のなかでも生き延びたのだ、マグマの温度なんかぬるま湯のようなものだろう。

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