ゴジラ & 怪獣映画 目次
考察の視座と課題
はじめに
怪獣映画と私の少年時代
1954年版ゴジラをめぐる問題
ゴジラのスペック
日本の軍事的環境
閑話休題コメント
対ゴジラ軍備と安保条約
特撮映画と戦争
84年版ゴジラと日本の軍事的環境
ゴジラとの戦い
日本の軍事的環境
ファンタジーとしての怪獣映画
広島とフランケンシュタイン
リヴァイヴァル後のゴジラ
ゴジラ対ビオランテ
ゴジラ対キングギドラ
タイムパラドクスのパラドクス
怪獣が破壊した建築物をめぐって
最新高層ビルの「洗礼

特撮映画と戦争

  映像による情報発信が、政府による世論誘導、とりわけ戦争準備や宣戦、継戦をめぐって情報操作の手段として開発・活用されてきたのはいうまでもない事実だ。ハリウッドが第2次世界戦争の直後にまるで万全の準備でもしてきたかのように成長したのは、アメリカ連邦政府が戦時指導体制に――やがてハリウッドを取り仕切る映画会社と技術者――を組み入れて、政府広報映像を制作させたり膨大な戦争映像を収録させたりして、世論誘導や戦争報道の手法を研究させていたからだ。

  日本でもとりわけ特撮映像技術は、戦争と深く結びついて発達した。第2次世界戦争後、東宝の怪獣映画に結実していった特撮技術は、太平洋戦争中に旧日本軍のニーズにしたがって開発や改良が進められていた。
  飛行訓練、爆撃訓練、艦砲射撃訓練などのために、世界に先駆けてシミュレイション・イメイジトレイニング用の映像を制作したのだ。
  軍艦や航空機、港湾などの攻撃対象を、精密なミニチュア(ただし、大きなものは3メートル近くの戦艦や空母もあったらしい)を製作し、敵艦ならば爆撃や砲撃のシミュレイションのために、僚艦なら護衛や着艦などのイメイジ訓練に利用したという。精巧な模型とその動きを再現して撮影する技術は、まさに太平洋戦争中に飛躍的に発展した。

  もっとも、大半の資源や資金が戦争に動員され、残された乏しい資源をこれまた戦時独裁国家が統制していた。ことに映画や芸術などの「娯楽」に対しては、戦意高揚もの以外は厳格に制限されていた。映画人たちは、思想的にも、資源・資金的にも、自由な映画制作を禁じられ、ひたすら国家の戦争政策のための映像制作で生き延びるしかなかった。おそらく、軍部に協力する映像制作に拒否は許されなかっただろう。
  自由かつ自発的な発現を禁じられた創作エネルギーは、ある意味で「倒錯した」形で戦場場面の特撮技術の開発・洗練に向けられただろう。それは、それなりに誠実で必死な努力目標でもあった。場合によっては、戦争の悲惨さや兵器の破壊力を忠実にミニチュアモデルで再現することで、戦争の悲惨さや残酷さを表現しようとしたのかもしれない。
  そして、敗戦後およそ10年近く、「平和の配当」(アメリカへの屈服のもとであっても、国土や近隣海域が戦場でなくなることはきわめて大切なことなのだ)を受け取るようになって、怪獣映画に特撮技術が活用される時代がやって来た。

84年版ゴジラと日本の軍事的環境

  ゴジラ映画は、第2作以後は「大怪獣決戦」というスタイルで続くことになった。物語は、子供向けになっていたような気がする。その意味では、84年作品が制作されるまで、最初のゴジラ映画に匹敵しそれを超える質をもつ作品は生まれなかった。
  で、それから30年後の84年、ゴジラは第1作の物語と状況設定を直接引き継ぐ形で再登場する。

ゴジラの登場

  ここでは、ゴジラは太平洋の火山島(海底火山)の噴火とともに出現した。いろいろ説はあるが、54年版ゴジラには同種の仲間がいて、それが火山活動にともなう巨大な熱エネルギーないし電磁波の刺激を受け海上に姿を現したことにしておこう。
  近海で操業していた日本の漁船が大嵐を受けて、火山島近くに漂流して、ゴジラに遭遇した。ゴジラはそのまま海中に没した。が、ゴジラに寄生していた巨大なフナムシが漁船員を襲い、体液を吸い取って殺してしまった。唯一の生存者は、アルバイトの大学生だった。その目撃証言から、日本近海にゴジラが出現したことが確認された。だが、日本政府は国内のパニックを恐れて公表を回避し、情報を封じ込めた。
  けれども、まもなく、ソ連の最新鋭原子力潜水艦が近隣海域でゴジラの襲撃を受けて破壊された。ソ連はアメリカ側の攻撃かと憶測し、状況が険悪化するにおよんで、日本政府はゴジラ出現の情報を公開した。
  この間、日本の首相は非公開でゴジラ対策の閣議を開いたが、その席で、自衛隊が極秘裏に、首都防衛用の特殊航空戦闘艇「スーパーX」を開発してきたことが報告された。それは、「首都圏での核戦争」をも想定して設計されていた――そういう自衛隊の情勢認識が前提であるとはすごい!――から、ゴジラの放射能火炎にも耐えられるものと評価されていた。

  さて、その後、ゴジラは遠州灘から静岡県浜岡に上陸し、浜岡原子力発電所を襲った。ゴジラは発電所を破壊し、原子炉の炉心を取り出して、その核エネルギーを吸入した。周囲の放射能を吸い尽くして、核による「環境汚染を除去」してから、帰巣する海鳥の鳴き声に反応して、海に帰っていった。ゴジラは人工的な高エネルギーの集積状態に敏感に反応し、エネルギー補給やあたかも憎悪によるかのような破壊攻撃をおこなう習性があるらしい。
  こうして、ゴジラが人工的なエネルギーの集積地=首都東京に出現する危険が高まった。

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