ゴジラ & 怪獣映画 目次
考察の視座と課題
はじめに
怪獣映画と私の少年時代
1954年版ゴジラをめぐる問題
ゴジラのスペック
日本の軍事的環境
閑話休題コメント
対ゴジラ軍備と安保条約
特撮映画と戦争
84年版ゴジラと日本の軍事的環境
ゴジラとの戦い
日本の軍事的環境
ファンタジーとしての怪獣映画
広島とフランケンシュタイン
リヴァイヴァル後のゴジラ
ゴジラ対ビオランテ
ゴジラ対キングギドラ
タイムパラドクスのパラドクス
怪獣が破壊した建築物をめぐって
最新高層ビルの「洗礼

日本の軍事的環境

  「怪獣映画」といってしまえばそれまでだが、84年版ゴジラは、日本が恐るべき軍事上、安全保障上の環境のもとに置かれているという状況設定になっている。

  まず、自衛隊は極秘に、つまりはシヴィリアンコントロールから完全に離脱して、首都での核戦争に備えた防衛用特殊航空機スーパーXを開発・実用化していた。もっとも、厳密な法理論上は、自衛隊は憲法体系のなかに位置づけようがないから、もったいぶって「シヴィリアンコントロール」と言ってみても、そもそも無意味なのかもしれないが。
  しかも、スーパーXは、弾頭に恐ろしい毒性をもつ重金属カドミウムを充填したミサイルをゴジラに向かって撃ち込む。東京のど真ん中でだ。ゴジラとの戦闘のなかでだから、カドミウムの飛散による汚染は、当然生じる。新宿一帯は、深刻な重金属汚染に見舞われる。
  もっとも、ゴジラの放射能火炎というか核熱線によって、東京は全面的に放射能で汚染されているかもしれないが。それとも、ゴジラは自分が吐き出した放射能も再利用するために全部吸い取っていくのだろうか。そうかもしれない。

  さらに深刻なのは、日本の非核3原則は、ズタズタに踏み破られている。東京湾には衛星核ミサイルの発射装置を搭載したソ連の貨物船が入港、停泊している。しかも、嘉手納基地にはSDIの迎撃用(もちろん先制攻撃にも使える)核ミサイルサイロが設置されている。日本の領土内、領海内にアメリカとソ連の核兵器が何の制約なしに持ち込まれていて、いつでも使用される可能性があるというわけだ。
  大笑いなのは、ゴジラ上陸という警戒態勢のなかで、東京駅から新幹線特急がのこのこ走り出し、わざわざゴジラの通り道の有楽町に向かって来たことだ。54年版のパロディ=再現のために、通常の危機管理利システムを無視したのか。あるいは、日本の危機管理体系はこんなものだというアイロニーか。


  そして、新宿西口では、眠り込んだゴジラを見物しようと、大勢の野次馬が地上に現れ、遠巻きにゴジラを見守るシーン。ソ連の衛星核ミサイルがやって来るからということで、住民を全員地下街に避難させたのではないのか。たしか、閣僚たちは首相に、住民避難は完了したと報告したではないか。
  しかも、あの一帯は核汚染やカドミウム汚染で、人間は生存できる環境ではないはずではないか。
  これは、群集が逃げ惑う光景を演出するために無理に設定した状況なのだろうか。
  それとも、日本の危機管理体制はこんなものだという皮肉か。

  ところで、この映画では、日米安保条約の発動は、ソ連の核ミサイルの迎撃だけだった。安保条約は国家や特殊な組織集団の攻撃に対して発動されるものだから、怪獣には対応できないという法解釈からか?
  だが、日本社会は物理的破壊の脅威を受けているではないか。もっとも、どんな兵器でもゴジラを破壊することはできないから、このさいアメリカは度外視した方が物語としては面白いからか。
  私の願望としては、横須賀か佐世保の港湾にアメリカの原子力空母(とその護衛艦隊)が停泊しているところにゴジラが出現して、空母を破壊してその原子炉を「食ってしまう」シークェンスを演出してほしい。強力な核エネルギー源を襲撃するのはゴジラの習性だから、話のつじつまは合う。
  だが、アメリカの軍事力を破壊するというテーマは、日本ではタブーなのだろうか。だが、日本の文化がアメリカへの「ポチの尻尾振り」から自立するためには、格好の象徴的映像になると思うが。

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