ところで、小説や映画でタイムトラヴェルを描く場合、必ず生じるディレンマがある。タイムパラドクスだ。それは、ある人物(存在)が、本来存在しない時空に移動することによって生じる《時系の因果関係の連鎖の攪乱》だ。
「現在または未来の人間」が過去の時代に「旅行」して、その時代の事象に手を加える。すると、はるかな過去から未来に連綿と続く因果関係の連鎖の流れを切り換えてしまう。この切り換え以降の世界のできごとの推移は、それまでとは別の因果関係の系統に転轍してしまう。
そうなると、そもそも過去に旅した「現在または未来の人間」が存在しなくなるかもしれないし、あるいは別の因果関係の文脈のなかに存在する人間ということになるから、彼の思考方法や行動スタイルも違ったものになる。
そうなれば、過去に遡る旅に出ないかもしれないし、出たとしても、別の行動を取るであろう。
つまり、ひとたび、過去にタイムトラヴェルして事象を変えてしまうと、時系列に沿った因果関係の流れ、すなわち歴史は、つじつまの合わないパラドクスの塊になってしまう。もつれた糸くずの塊になってしまうのだ。
論理が込み入ってきたので、91年版ゴジラの話に戻して説明しよう。
未来人による過去の事象の操作で、1954年のラゴス島に出現した怪獣がゴジラではなくキングギドラになったとする。すると、54年に最初に日本を襲った怪獣は、ゴジラではなく、キングギドラになる。その行動や破壊活動の様子、また人類の対応・対策もまた違ってくる。
海を泳ぎ、陸上では大地を踏みしめて歩むゴジラと、天空を飛翔するキングギドラとは、行動様式、状況への反応は異なる。日本は完全に破壊されてしまうかもしれない。なにしろ空飛ぶキングギドラは、海に潜伏する間に「オクシジェンデストロイア」によって滅ぼされることはまずないから、この怪獣による破壊と蹂躙は続くことになるかもしれない。映画が想定する日本の歴史もすっかり様変わりする。
そうなれば、1991年にUFO=母船に乗った未来人たちは訪れることがない。
というわけで、タイムトラヴェルは「タイムトラブル」になってしまう。時系の因果連鎖をひとたび乱すと、その後の歴史過程は攪乱を増幅していく一方なのだ。
この場合、作家や制作者は、時系列全体におよぶ因果関係のパラドクスに目をつぶり、とにかく自分が描きたい物語の筋のなかに強引に閉じこもって、そのほかの歴史の推移の無視を決め込む。
これ以上詮索しても埒が明かないので、91年版ゴジラの物語に話を戻そう。
ゴジラは若狭湾沖から消えた。そして、九州北部にキングギドラが出現した。
ところが、20世紀後半は冷戦構造が世界を覆っていた。核兵器や核廃棄物はどこにでも転がっていたという。で、1954年から91年までのどこかで、アリューシャンのある島に移されたゴジラザウルスの近くで、54年のアメリカの核実験を上回るような核爆発が起きた。それで、かつてのゴジラよりも一回り以上巨大なゴジラが出現することになった。体高100メートル、全長240メートル、放射能火炎の破壊力も一段とパウワーアップしたゴジラが。
そのゴジラはオホーツク海から日本にやって来た。北海道の平原でキングギドラとゴジラは対決する。だが、脅威を増したゴジラの前にキングギドラはやっつけられて、オホーツクの海底に沈んでしまった。そして、未来人も母船もともに、ゴジラの火炎で蒸発し素粒子に分解してしまった。
こんどは、キングギドラよりもはるかに恐ろしい破壊力を備えたゴジラが、日本を破壊して回る番になった。
それ以後、日本は都市と産業を壊滅させられ、惨めな貧困国になったとか。
未来人のうち、多数派に反対していたエミーは1人生き残った。惨めな歴史に日本が落ち込むことを防ぐために、彼女は23世紀に戻り、そのテクノロジーを駆使して、海底に沈んだキングギドラをサイボーグとして再生させ、ふたたび1991年にタイムワープした。
この段階で、ゴジラ撃退の最高の兵器は、サイボーグのキングギドラとなった。現代の人類は、パウワーアップしたゴジラの前に、もはや対抗手段をもちえなかった。
●サイボーグについて●
私たちはSFの世界で、「サイボーグ」の存在をもはや当たり前のように見なしている。だが、少しこの用語の周囲に立ち止まって考察してみる。
サイボーグ( cyborg )とは、 cybernetic organism の省略表現で、通常ではない特殊な生存環境ないし作業環境での生存や作業のために、生物の身体組織・器官のある部分を人工的なメカニズムに置き換えたシステム=存在だ。人為的制御系生物とでも訳すか。
cyber ないし kyber とは、ギリシア語で制御体系または身体の制御中枢を意味する。操縦機を意味することもある。転じて、全身制御をつかさどる中枢神経すなわち「脳」を意味するようになった。ただし、頭脳ではなく、「心脳」または「胸脳」だ。というのも、古代ギリシア人は、精神や思考、そして身体の制御を統括する脳は、心臓の近く、胸にあると考えていたから。
いまは、自動電子計算機を世界中で「コンピュータ」と呼んでいるが、コンピュータという用語は、「エレベイター」という用語と同様に、もともとはそれを最初に開発して商標登録し、寡占市場を支配した有力な電気機械会社の特許技術=商標だった。それゆえ、書籍や放送では有償の使用許可なしには勝手に使えない言葉だった。
で、1950~60年代初頭まで、SF作家たちは苦心して、コンピュータを意味する機械については、サイブレイター( cybrator )とかサイバナイザー(
cybernizer )とか名付けて物語に登場させていた。自動機械に置き換えられた脳という意味で。
日本でも、60年代には「電子頭脳」という典雅な言葉があった。「鉄腕アトム」が懐かしい。