これが19世紀半ば以降になると、さらに洗練され、音楽のなかでの役割分担・細分化と再構成が試みられます。
リヒャルト・ヴァーグナーやベルディ、あるいはロッシーニたちが、音楽演劇(オペラや歌劇)の前や幕間、物語の終焉などに演奏する《楽曲フォーマット》を何種類も編み出しました。
前奏曲や序曲や序奏曲、間奏曲などのなかに、ライトモティーフとして特定の際立った特徴をもつ楽想・フレーズをいくつも持ち込みます。
そして、舞台劇の本番開演を待ちわびる観客を誘導するため、まるで予告編のように、あるいは先んじて今後の展開を解説するように、そして登場人物のイメイジや物語のクライマクスを想起させるように、これらの曲を演奏するようなプログラムを打ち立てたのです。
演技・演劇と並行して背景音として奏でられる楽曲が、舞台での劇や声楽とは別に、物語を紡ぎ出していくわけです。ドゥラマトゥルギーを演出する牽引力・効果音として、能動的にかかわっていくようになりました。
そういう複合的なプログラムや方法論が、標準として定式化されていきました。
こうして、視覚的な演劇物語の主題やクライマックスのイメイジ、主人公の人間像、人物たちの絡み合いなどを表現する音楽が、いわば必然的な道具立てとして、準備されるようになりました。
物語の舞台での上演と音楽演奏とが密接に結びついたわけです。
こうして、物語を対等の立場で表現する手段として、いや音楽主導のもとに、演技や視覚装置としての舞台美術・装置が大がかりに結びついた総合的な芸術がつくられていきました。
一方、19世紀後半から末にかけての「本格的な産業革命」の時期に、シネマトグラフが発明開発されます。とはいえ、テクノロジーの限界で、映像=動画には、しばらくのあいだ音声を結びつけることはできませんでした。
トーキー(フィルムのしかるべき場所に音声情報としての突起をつける技術)が発明されるまで、映画=映像物語の展開に合わせて音声や音楽を組み込むことはできません。
しかし、第1次世界戦争では、欧米諸国家は映像を民衆に対するプロパガンダのために利用しようとして、膨大な資源を開発と製作に投入しました。著しい技術革命が起きたようです。
映画芸術は、電気機械テクノロジーの発達が生み出した総合芸術であってみれば、純然たる演劇からというよりも、オペラや楽劇(音楽劇)からの影響がはるかに大きいと見られます。
一方、オペラや歌劇・楽劇はより大衆化されて、滑稽味のあるハッピーエンドの《オペレッタ》へと発展し、さらに《ミュージカル》になりました。そしてやがて、映画の部門として、ミュージカルも発展します。
そして、すでに音楽劇が大がかりな総合芸術として成立しているという前史がありますから、ひとたびトーキーが実用化されると、映画もまた大規模な総合芸術、しかも大衆を市場とする資本主義的な営利事業として展開していくことになりました。
そして、大規模な戦争のたびに、ことに第2次世界戦争では、国家による未曾有の資源や人員の動員態勢が組織され、映画というメディアもまた、市民からの支持の取りつけのために利用され、飛躍的に技術開発が進むことになっていきます。
巨大な資本=資金を投入して巨額の興行収益をめざすものとして、つまり大衆資本主義的な文明装置として映画産業が確立していきます。