FMラディオの音楽番組ではどれでも必ずと言っていいくらいに、毎年、いや少なくとも半年に一度くらいは、映画音楽(主としてテーマミュージック)の特集が組まれます。
さらにラディオ番組として、映画音楽を扱うものも定着しているようです。
もとより洋楽(海外映画の主題曲)が多いのですが。
番組のナヴィゲイターは、曲の紹介とともに映画作品の概要を伝えます。
そして、物語のあらすじとか監督、主演俳優、主な助演俳優、印象に残る「名場面」などを解説することになります。そうすることで、音楽をきっかけとして映画の印象をよみがえらせることになるのです。
こうして聴き手の心に、《テーマミュージック ⇒ 映画の名場面や物語》 という連想・回想の回路が、設定され起動されるのです。
名場面には、登場人物とか主演俳優や脇役・助演俳優の演技、人物たちの関係(恋愛や対立など)、事件の展開などが含まれています。
つまりは、音楽は、映画作品を想い出したり解説したりするために、きわめて重要な要因となっているわけです。記憶の扉を開く鍵ともなっています。
映画の本質的な要素の1つになっているからこそ、音楽をキーワードないしプロトコルとして映画をイメージすることができるのです。
西洋の芸術音楽=オペラ・歌劇から始まった《音楽と劇物語との連結》の仕組みが、より大規模に資本主義的な総合芸術・娯楽産業としての映画にそっくり、しかも洗練されて持ち込まれているといえます。
もちろん、映画 cinamatography は《 motion pictuires 》《 movies 》ですから、視覚的な物語が作品世界の中軸なのです。が、その劇物語の視覚的・感覚的印象をより深く刻印するために、音楽は効果的に駆使されるのです。
いや、音楽が主導し、誘導するといってもいいでしょう。
ベートーヴェンが生み出し、ヴェーバーが開発し、ヴァーグナーやヴェルディが洗練させた、あの手法が、映画でもさらに改良を加えられて取り込まれているのです。
そして、映画音楽のなかには、たとえばエンニオ・モリコーネの多数の作品のように、音楽芸術として第一級の作品もあるのです。それらは、やがてはクラシック=古典と呼ばれることになるでしょう。