映像物語のある場面に巧妙に挿入された音楽は、観客の頭脳に、視覚的記憶――物語の各場面と展開――と密接にリンクさせて印象的な曲を聴覚徹記憶として刻みつけることになるのです。
観客たちは、映画を観たのちも、いや時間が経過するほどに、映像場面(あるいはテーマ)と楽曲との連想=連結した印象を深めていくことになるでしょう。
さらに、観たことがない人を映画鑑賞(映画館やDVD)に誘う効果も大きいでしょう。
たとえば、ナルシソ・イエペスのギター曲《ロマンス》は、私たちに映画《禁じられた遊び》の場面やイメイジを強く連想させ、あるいは呼び起こします。残酷な戦争と無残な結果と対照的な美しい音楽。
あるいは《ゴッドファーザー》の主題曲や《炎のランナー》の主題曲は、すばらしく印象的ではないでしょうか。
《愛と哀しみのボレロ》は、あの物語の場面のいたるところで、ラヴェルのボレロの魅力を余すことなく駆使し、また映像はボレロの楽想、あの独特のリズムによって心に深く刻みつけられはしなかったでしょうか。
私の個人的な経験で言えば、ジプシー・キングズの《インスピレイション》は、私にとって何よりも《鬼平犯科帳》のエンディングテーマ曲です。
そして、あのエンディングテーマ映像を、江戸の四季の移り変わりの美しい映像場面を、呼び起こします。
たぶん、あの映像を日本好きの外国人に見せれば、深く感動するでしょう。何よりの日本への観光誘導のメッセイジとなるはずです。
あの曲を聴くと、京都や奈良の古寺の庭園で撮影された、日本の四季の美しさ、そして歳時記的な風情へのたまらない懐かしさ。そう感じるのは、私だけでしょうか。
また、今私はベートーヴェンの交響曲第7番を聴くたびに、《のだめカンタービレ》を想い出します。
最近では、一時期は着ぐるみマングースのイメイジにとらわれていましたが、最近では、Sオーケストラの躍動的なパフォーマンスをイメイジするようになっているのですが・・・。
今では私は、「のだめ」の物語にすかkり影響されて、あの第7番交響曲は、若さに満ちた躍動感とかエネルギッシュ性こそが曲の本来の主題ではないかと感じるようになっています。
このように、音楽へのイメイジも映像も物語によって影響されることもあります。
というのも、あのドラマ制作で伽本や演出、曲選定(演奏法の指示)に携わった人たちの目の高さやセンスの良さが、時を経るほどに、強いインパクトとなっているからだ。
読者諸賢も、それぞれに映画やテレヴィドラマの主題曲や挿入曲について、こういう経験というか記憶があるのではないでしょうか。
こうしてみると、すぐれた映像物語には、主題曲や挿入曲が最も重要な演出装置として組み込まれているということになります。映像は楽想に影響し、楽想は場面の理解や記憶を左右するのです。