参照記事⇒アマデウス
夭逝したアマデウス・モーツァルトの数奇な人生――というよりも奇矯な人物像と破滅――を描いた物語。
天才音楽家の悲劇的な末路を予兆するかのように流れる楽曲は、彼自身の手になる〈交響曲第25番〉。
もちろん、物語のなかでは、アマデウス・モーツァルトが世に送り出したあまたの名曲が、まさに実際の演奏・上演場面として登場する。
だが、〈交響曲第25番〉は、メインテーマミュージックとして、あるいは物語の進行を予兆し追い回す「狂言回し」「水先案内」のように使われる。
何かとんでもない悲劇的な事件が起こるのではないか、という不安を掻き立てるこの曲は、全体に悲劇的な調子を帯び、短調特有の美しく物悲しく抒情的な響きを持つ。そして、モーツァルトには珍しく、きわめて構築的、思索的ですらある。
この曲は、何やらドラマトゥルギー(劇物語の構成や描き方)についてのある種の方法論を示すかのように、絵画のような劇性(流れと構造・組み立て)を備えた作品だ。
参照記事⇒オーケストラ
フランス語の原題は《ル・コンセール( Le Consert )》。一般的には「コンサート」「演奏会」という意味だが、「コンチェルト=協奏曲」という意味もある。そして、テーマとなっているのが、ソ連で共産党政権に逆らって指揮者としての地位を奪われた男が、政権による迫害によって命を失った同僚の1人娘とパリでヴァイオリン協奏曲を演奏するという目標=執念なので、私としては邦題を《コンサート(協奏曲)》としておきたい。
物語の冒頭にも、テーマとは微妙にずらして、モーツァルトのピアノ協奏曲(第21番)が置かれているし…。
そう、この物語は、美しいピアノ協奏曲で始まる。だが、ドタバタ調の喜劇が展開する。美しい協奏曲に導かれるファンタジーなのだが、コメディ風に味つけされているのだ。それというのも、描かれるストーリーが涙を誘う悲愴に満ちたものだから、観客には楽しく観てもらおうというと意図したからではないか。
浪花節的な「美談」なのだ。
主人公、セルゲイの回想にともなって演奏される曲は、チャイコフスキーの〈ヴァイオリン協奏曲〉。抒情的で哀愁が漂う感傷的で甘美な協奏曲だ。
この曲をメインテーマとしてクライマクスで演奏したいがために組み立てられた物語ではないかとさえ思える。
ソ連当局のユダヤ人政策(迫害)に抵抗を試みたセルゲイだったが、当局から目の敵にされ、指揮者の地位を奪われたうえに、楽団員の夫妻(妻は天才的なヴァイオリニスト)がシベリアに流され命を失う。
セルゲイたちは、流刑の直前に夫妻の娘を救い出して、フランスに亡命させた。やがて、娘は成長してやはり天才的なヴァイオリニストとなった。フランスで演奏会を開き、そのヴァイオリニストと「協奏曲」を演奏することで、迫害に散った同僚への鎮魂歌としたい。そんなセルゲイの執念と悪戦苦闘を励ます曲なのである。