ルネサンス期に音楽に美や楽しさ、快さを求める傾向は強まりました。
が、その場合の美や喜びとは、端正に均整が取れた「理想美」「理想快」であって、多分に静的なものでした。躍動するような美、心躍るような喜びには、まだ制約が加えられていました。とはいえ、「人間的なもの」「本来の人間性」が尊重されるようになっていきます。人間の精神活動や心理においても。
ところが、17世紀末からは、イタリアではバロックの時代となります。オペラが音楽芸術の一部門として独立してでき上がったのは、この時代です。
バロックとは、歪んだ真珠を意味するバロッコが語源で、均整と調和を最重要視したルネサンス文化が行きわたって飽きられたため、むしろ印象づけの方法として過剰な装飾や不均衡が重んじられていく時代です。その分、静的な美しさよりも動的な表現形式が次々に開発されていきました。
誇張や華美な装飾、執拗な繰り返しという方法がとくに建築で採用されていきます。
外形や見栄えを重要視するようになります。音楽にもこの傾向が浸透します。つまり、快感や感動を抱かせる音響の追求が始まったのです。
さて、古代ギリシャの演劇では、登場人物が人の動作を演じるよりも、むしろ詩=韻文を旋律に乗せて歌うような台詞を交替に表現したのではないか、という発想が出発点となったようです。言葉や文章の抑揚をメロディやリズムで表現する上演となりました。ここにバロックの方法が持ち込まれていきます。
富裕な有力諸都市や港湾などを結ぶヨーロッパ世界貿易のネットワークが形成されていくとともに、君侯領主や富裕商人(多くは貴族の称号をもつ)たちは、現生の刺激や快楽を享受することに、もはやあまり宗教上の制約を感じなくなっていました。
むしろ、自らの身分や権力、権威を示すために、誰にも見える奢侈や華美を追求するようになりました。
音楽に美や愉悦、快楽を求め、組み入れていくことをためらわなくなったどころか、積極的に求めるようになったのです。技法や奏法はまだまだ未熟でしたが。
見栄えや聴き栄えが何よりも大事にするようになったのです。というのは、有力君侯や貴族が、自分の権威や権力を華々しく誇示する手段として音楽を利用するようになったからです。
そういう流れのなかで有力君侯・貴族の権力や権威を装飾する装置としてオペラが成長しました。舞台での人の振る舞い opera を器楽や声楽などの音響で飾る仕組みです。君侯・貴族の広壮な宮殿のなかに、オペラのためのホールが設置され、目を見張るような仕かけ、舞台装置が設えられました。
舞台では、物語への喜怒哀楽の情感がより強く持ち込まれ、物語自体も劇性を誇張するものとなり、それを豊かに表現する歌唱が繰り広げられました。声楽の演奏法も発展していきました
もちろん、劇性を高めるためにできごとを誇張する物語や目立つ演技と音楽が生み出されていきました。
幕や場(場面)ごとの背景画や大道具・装飾を切り換えていく大がかりな装置――たとえば舞台の上に吊り下げられた背景画を場面ごとに次つぎに取り換える装置など――が続々と開発され、ホールの舞台に設置されるようになっていきました。
まさにバロック(装飾過剰)の時代です。
その後、18世紀末にかけて、舞台役者の台詞の音楽性はより増大し洗練されていきます。だが、やたらにコロラトゥーラが散りばめられた演出過剰、誇大表現が目立ったといいます。
音楽のなかに美を求めて盛り込むことが当たり前になっていくとともに、作曲や演奏の技術が発達してきます。
人間の音声の添え物にすぎなかった器楽が発達し、美しい旋律を奏でる技法=奏法が編み出されていきます。楽器にも改良が加えられていきます。。
神の意志や宇宙の摂理を表現できるのは、人間の肉声だけだという観念は後退し、器楽による伴奏がずっと華やかになり、ついに器楽は独自の音楽部門として独立していきます。
もちろん、敬虔な信仰や祈りを讃えるものとしての音楽も発達していきます。しかし、もはや美しく喜びを感じるものでなければ、人びとを惹きつけなくなりました。
16世紀には「宗教改革」が始まり、カトリック(ローマ教会)とプロテスタントの対立競争も激化します。そこで、両派の宗教音楽での競争も活発化したことでしょう。
富裕市民階層の意識や欲求のより率直な表現を許容するプロテスタントでは、宗教音楽に美しさや喜びをより大胆に持ち込むようになります。
こうして、宗教音楽の技法も発達し精緻化していきます。