参照記事⇒《解放の神学》の起源
映画作品のなかで流れる音楽を400曲以上もつくったエンニオ・モリコ−ネ。どの曲も天下逸品ばかりだ。
泣かせる、聴かせる・・・それが「モリコーネ節」の「モリコーネ節」たるゆえんか。
物語は、南アメリカ植民地で原住民(インディオ)をヨーロッパ系白人の抑圧と収奪から守ろうとするエスパーニャ人宣教師たちの闘いへのオマージュである。
大西洋の両側、ことにヨーロッパ全域を戦場とする無謀な戦争政策が行き詰まり、王室財政の破綻に直面したエスパーニャ王国は、植民地帝国の切り売り、投げ売りを始めた。エスパーニャ王権は、パラグアイの一部をポルトガルに割譲した。王権とヴァティカンは、インディオの保護のために派遣していた修道士たちに撤退を命じた。
富の収奪のために血眼になっているポルトガルやヨーロッパ人植民者の武力の前に、インディオを無防備のまま投げ出せというのだ。
修道士たちは苦悩の末に、ヴァティカンと本国王権に逆らって、インディオの尊厳と生存権を擁護して闘いに立ち上がった。だが、情け容赦のないヨーロッパ人軍隊の残虐な攻撃の前に、修道士たちはインディオたちとともに次々と斃れていった。彼らが求めたものは、ローマ教会の聖典にあるように、この地上に「神の楽園」を築こうという理想だった。
美しくも哀しい物語の背景で流れる音楽は、〈ガブリエル神父のオーボエ〉――オーボエ協奏曲の形式をとる――と〈この地上が天国であるように〉――コラールの形式――。
自らの理想と信念のために、というよりもインディオへの連帯感と共感のために命を捨てる覚悟を決め、飛び来る銃弾・砲弾に向かって、非暴力で立ち向かう修道士の姿は、まさに宗教家の理想であり、20世紀の〈解放の神学〉の起源となるものだった。
彼らの物静かで飾らない意思と信念を静かに語るオーボエ協奏曲、そして、インディオと理想の社会を築こうとする彼らへの讃歌、応援歌のようなコラール。ともに、深く心にしみわたる名曲である。
これもまた、滅びゆく共同体へのオマージュか。
本来、コラールは、元来はローマカトリック教会に反逆を挑んだプロテスタントが、カトリック教会伝来の「聖歌」に対抗する宗教音楽として生み出した音楽だという――創出には大バッハの貢献が甚大であるとか。その形式の楽曲を、ローマ教会の修道士たちのプロテストへの讃歌として用いた、この独創的でしゃれた手法=発想は、どこから来るのだろうか。