というようなわけで、ミュロクンミンギア類にとっては、海のなかは熾烈な生存競争と敵対が展開していて、すこぶる危険だった。それで、子孫を残す試みとして、いつからか、内陸河川を遡上して産卵しようとする種が現れた。
後知恵的に考えると、このような挑戦を試みて成功した魚類だけがのちのちまで生き延びて繁栄したらしい。
だが、内陸河川を遥かに遡る旅は、恐ろしい危険に満ちていた。
まず何よりも、まだ大陸内部には、やがて植物に進化するような生物は進出していなかった。餌がないわけだ。そして、淡水には海水ほどの濃度のミネラル(カルシウムやマグネシウム、ナトリウムなど)は含まれていなかった。もとより、海水中のミネラルの大半は、河川が運んできて蓄えられたものだったのだが、河川は絶えず流れていってしまうので、海水ほどの濃度にはならなかった。
つまり、捕食者や敵対者がいなくても、淡水河川を長旅すること自体が、魚類にとっては致命的に危険なことだった。このリスクとコストをまかなったのは、内骨格の発達だったという。
脊椎・脊索の周囲にミネラルをたっぷり含んだ背骨を発達させて、そこに大量のミネラルを蓄えていったらしい。ただし、その分、身体の表層の装甲=鎧はしだいに薄くなっていったはずだ。
この変化は長い期間をかけて進んだ。
われらがケファラスピスは、旧式の身体設計で内陸河川の遡行に挑戦した。それほど長い河川ではなかっはずだ。というのも、食餌をしないで産卵して戻る体力を残さなければならなかったからだ。
内陸河川という生存環境にはメリットもあった。河川のなかには、敵=捕食者がいなかったことだ。
ところが、内陸のうち河川ではない場所には、恐ろしい捕食者が出現しようとしていた。あのウミサソリのうち、ある種が体表の装甲や鰓組織を変形させて、陸上での生活に適応したのだ。適応に成功したウミサソリから、現在のサソリの祖先が進化した。
とにかく、餌となる魚類が内陸河川に遡上する限りで、ウミサソリの一部も、生き残るために、陸上への進出を試みるしかなかった。この試練に生き延びた種だけが、子孫を残すことができた。
自然選択( natural selection :自然淘汰、自然選別ともいう)は、偶然の連鎖のなかで、さまざまな生き残りの試みをした多数の種のうちで、たまたま将来に向けて子孫=種の遺伝情報を残すことに成功したものだけが生き延びるという残酷な運命を意味する。あとからか論理的に推論すれば、種の進化の工程は環境への必然的な対応=適応(適者生存)だということになるが、進化の現場では、アクロバットのような偶然が支配する。必然性も法則もない。
さて、ウミサソリから進化したリクサソリは、これまた河川に沿って遡上して、河川といっても浅瀬しかないような内陸まで進軍していた。たぶん、途中での捕食にはあまり成功しなかったので、上流まで旅をして生き延びるチャンスを狙うしかなかったようだ。
河川の最上流部では、ほとんど水がないような岩の上や危険な浅瀬を越えて、魚類は産卵場所を探すしかなかった。そこで、サソリは待ち伏せ攻撃をかけることになった。
さて、われらがケファラスピスは、ものすご多数の群れになって河川を遡上していった。最上流部に達した数もまた夥しかった(というよりも、種全体としてのリスクとコストを低下させるために、大群をなした種だけが生き延びた)。
だから、サソリの待ち伏せを受けて捕食されても、産卵場所までたどりついて、まだ生き延びて産卵して子孫を残すことができた。その子孫たちは、内陸河川の源流部まで遡上して産卵する行動パターンを記憶し、反復した。