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ところで、ニューヨークの街で自転車を乗り回しながら仕事をするのは、かなりリスクが高い。一番心配なのは、商売道具の自転車の盗難だ。自転車配送業にとっては、大事な資産だ。
何しろこの街では、持ち運び(取り外し)できるような物体ならば、何でも簡単に盗まれ持っていかれてしまう。だから、誰でも通れる街路には、(機械自体も高価だが、商品と現金が格納されている)自動販売機なんかはまず置いてない。自動販売機なんかは、セキュリティの堅固なオフィス内やビル内の空間だけに許される特権なのだ。
自転車だって、1つだけのチェインロックでは、容易に盗まれてしまう。盗難を防ぐためには、チェインロックは――ビルや道路のガードフレイムなど――周囲の固定されたものに結びつけておかなければならない。日本のようにタイヤとフレイムを固定しても、軽々と担いで持っていかれてしまう。
たとえば、後輪とフレイムにチェインを回して街路樹に繋いだとしよう、すると前輪を外して持ってかれるだろうし、下手をすればハンドルやサドルを抜いて持っていかれててしまう。
壊しやすいチェインロックならば、壊して繋ぎから外し自転車丸ごと盗んでいく。
ジャックの仲間たちはどうやって、盗難を防ぐのだろうか?
まあ、余計な心配だが、私は気になってしょうがない。
この映画には「クールなシーン」がいくつも登場する。なかでもいいなあと思うのは、
①若者たちによる自転車のアクロバット=曲乗りと ②世界都市ニュ-ヨークの容貌の描き方 だ。
ある夜、クイックシルヴァーの面々が自転車曲乗りの競演をやり始めた。ラディオカセットで伴奏BGMを流しながら、「Xゲイム」顔負けのアクロバティックな技を見せ合う。世界都市の底辺近くにある仕事での鬱屈のはけ口、若者の夢、自己表現…そんなものが彼らのパフォーマンスから滲み出る。
そして、昼間、恐ろしいほどの数の人の群、雑踏。目抜き通り、瀟洒なビルの列。それと対照的な裏町や住宅街の姿。とりわけ場末にあって開発や発展から取り残された街角の深夜とか早朝のシーン。
世界最高の豊かさと途上国並みの貧困や荒廃。それが同じ都市のなかに同居する。いや、世界都市ニュウヨークは世界の中心にありながら、貧しい途上国の世界と直接つながっていると言うべきか。
こういう映像の描き方はいい。これだけでも、この映画は見る価値がある。
ジャックは飽くなき上昇志向に駆り立てられる仕事・生活とは訣別しようとしていた。ところが、1度だけの失敗でエリートの世界からスピンアウトした。そんなジャックの姿に父親は腹を立てていた。
ある日、生家に帰ったジャックは両親と夕食をともにした。父親はジャックに金融関係の新聞を読ませようとした。ジャックは拒んだ。父親は問い詰めた。
「お前の考えがわからない。お前は賢いし、頭の働きも速いのに。いったい、今後どうするつもりなんだ」
「父さんとは争いになることは話したくない」とジャック。
そこに母親が仲介。
だが、ジャックは、株式投機での失敗を告げにきたときの帰り際、父の落胆の様子を目にしてしまったことを語った。
「大事な人をあんあふうに打ちのめしてしまうような結果を招く仕事はもういやだ」と。
そのとき以来、ジャックは仲間との簡単な賭けすら拒否してきた。自分の優位や力を見せつけ合う勝負事も。争いになる前に撤退する。敗北のみじめさを味わいたくないし、たとえ自分が勝っても、敗者のみじめさを思うと喜びはないからだ。