クイックシルヴァー 目次
自転車で再出発
原題と原作について
見どころ
あらすじ
自転車大好き!
ジャック・ケイシイ
ツキのない1日の始まり
挫 折 !
打ちのめされた父の姿
新たな生き方を求めて
仕事仲間たち
少女テリ
それでもジャックはジャック
ふとした疑問
自転車の曲乗り
勝負や賭けを避けるジャック
ヴードゥーの死
恋人との別れ
最後の株取引
テリとジプシー
ジャックとジプシーとの対決
再   会
株式市場という理不尽な世界

再   会

  それからしばらくして。
  ジャックはニューヨークの目抜き通りを歩いていた。そこが待ち合わせの場所だった。時刻を確かめて辺りを見回す。と、テリが歩きながら近づいてきた。
  あの事件(ジプシーとの対決)のあと、ジャックは怪我の治療を受けた。2人ともクイックシルヴァーを辞め、新たな仕事を探すことにしたようだ。職探しについては、それぞれが自分の道を模索することになった。何週間かのちに再会する約束をして別れた。
  ニューヨークの大通りは、いつもどおりものすごい雑踏。そのなかで、再会の挨拶をしながら、2人は道を歩いた。ジャックはテリに近況を尋ねた。
「看護の特別コース(講座)を受講しているの。修了すれば、救急救命士の資格が与えられて、仕事に就けるのよ」
「そりゃあ、いいね」
「あなたの方は?」
「まあ何とか、いい仕事が見つかりそうだよ」
  このあと、2人の関係はどうなるのだろう。親友のまま行くのか。それとも恋人どうしになるのか。堅い信頼関係は築かれているようだ。
「食事でもしようよ。中華がいいな」
「中華はだめ」
  なかなか意見がまとまらない。まとまらないまま、広場に出た。 「ああそうだ。ヘクターの店のホットドッグがいいよ」
  2人は急ぎ足になった。彼らが向かうその先には、ヘクターの派手なディスプレイのホットドッグスタンドがあった。ヘクターは笑顔でホットドッグを作っている。評判が良いらしく、何人もの客がヘクターのスタンドに向かって詰めかけてくる。
  これがラストシーン。
  ほのぼのして、いい終わり方だ。

株式市場という理不尽な世界

  ジャック・ケイシイは、株投機の大失敗のあと、打ちのめされた父親の姿を見て、株式仲買業の世界から足を洗うことにした。ヘクターのために1回だけ、株投機の賭けに出るが、自分では利益を1ドルも受け取らなかった。
  この一連の経過のなかでのジャックの心理と、株式市場というフィールド論理を、あれこれつつき回してみよう。

  ジャックは株式市況の動きを洞察・分析する能力に長けていた。これは間違いない。ということは、この投資=投機事業がきわめてリスクの高いものであることを十分知っていたということだ。
  短期的な取引では、ほとんど偶然が支配する世界だが、読み勝ちができれば、大もうけをできる。だが、読み違いをすれば恐ろしい破滅が待っている。
  ジャックが賭けに勝ち続けているとき、その対極には、賭けに負けた圧倒的多数の仲買人がいた。ハイリスク=ハイリターンというのはそういう仕組みだ。多数の敗北者の対極にごく少数の勝者がいるから、その配分利得が大きくなるのだ。

  株投機は短期的なものだから、要するに余剰利潤のゼロサム的な分配でしかない。要するにギャンブルだから、競馬場の総売り上げ額と勝ち馬券への配当金との関係と同じだ。総額は変わらず、リスクが高いほど勝者はわずかになり、配当は巨額になる。
  投資が製造やサーヴィス事業への資金循環をつくり出し、収益をともなって還流し、投資資金を回収する、というような一定の資本の投資循環の回転期間のあとに来る利潤の分配ではない。すでに生み出された利潤のなかから、あらかじめ決められた比率で金融市場に配分された資金(つまり市場全体としては固定された総額)をめぐって駆け引きするだけのことにすぎない。
  それぞれの思惑や欲得にしたがって、より低い価格の株を(値上がりを期待して)買い取り、値上がりするタイミングを見計らって売り払う。あるいは、その先行的な約束取引を契約する(先物取引)。

  そんな活動自体は、どうひねり回してみても、何らの実質的な経済的価値を生み出さない。ところが、そんな空疎な活動に、膨大な資金が流れ込む。市場社会は、毎日、毎月、毎年、株投機活動に莫大な資金を割り当てている。
  市場参加者の目先の利益本意の取引が、長期的には、そして総体としては、社会のニーズに見合った産業の成長を促進するように貨幣資本の総量を、あれこれの部門に、分配するはずだ、という暗黙の了解があるからだ。
  だが、それは、実際の製品やサーヴィスを生産・提供する活動に投入されている資金の総量に比べて、株式や金融投機に回される資金の総量が相当に小さい、という貨幣資本の分配構造を前提しての話だ。
  つまりは、生産的活動の循環運動によって金融市場での資金循環が構造制約され、規定されているというメカニズムがはたらく限りのことにすぎない。」

  金融投機市場に流れ込む資金が、名目的にしろ著しく膨張して、生産活動での循環に投じられている資金よりも圧倒的に大きくなってしまうと、この「合理的期待」はそもそもはじめから成り立たない。それが現在の世界金融のメカニズムなのだ。
  このように、資金循環の「合理的期待」を裏切り掘り崩すメカニズムの暴威を、私たちは、つい先頃(2007~2009年)目撃したところだ。その破壊作用は、いまになっても世界市場全体におよんでいる。

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