信託基金の利益金の送り先は、精神障害者の療護施設、ウォールブルック・メンタルインスティテューションだった。責任者は精神科医のブルーナー博士。
チャーリーは父親から相続した唯一の財産、ビュイック・ロードマスターを運転して、スザンナとともに、ウォールブルックを訪れた。緑豊かな広大な敷地にインスティテューションはあった。
施設に入ると、案内係の女性が出てきた。ブルーナー博士への面大以来の取次ぎを頼んだ。取次ぎの合間に、チャーリーは勝手に施設内を歩き回った。そのなかでは、さまざまな精神的ハンディキャップを負った人びとが、一歩退いたところで見守る介護係の支援を受けながら、それぞれ自分たちの生活リズムで暮らしていた。穏やかな生活空間だった。
さて、ブルーナー博士との面談が始まった。その場ではじめてチャーリーは、レイモンドという兄がいることを知った。レイモンドは、チャーリーが生まれてすぐに、この施設に自閉症という精神的障害として入所していたのだという。
だが、なぜ父はそのことをチャーリーに秘匿していたのか(チャーリーが高校生になっても)。理由は、サンフォードとチャーリーの父子は、家族としての最小限度のコミュニケイションすら成り立たなかったから、らしい。一番の原因は、サンフォードの態度。頭脳は優秀だが、一種のコミュニケイション障害に陥っていたらしい。
しかも、チャーリーが幼い頃に母親が死去したため、父と子を結びつけ媒介する人や経路は失われたままだった。
そのため、幼い頃からチャーリーはサンフォードを父親として受け入れることができなかったらしい。そして、父親は、子を愛し心配する親としての態度を示すことができなかった。父と子のあいだに成長したのは、越えがたい深い溝=断絶だった。
温かい声をかけてくれたことのない父親に反発して、チャーリーは家を出て1人暮らしを始めた。それ以来10年間、チャーリーは父親に連絡を取ったことがない。
サンフォードがチャーリーに財産らしい財産を遺贈しなかったのは、おそらくそのためだろう。そして、チャーリーは立派に独り立ちして生活できていたから。
他方で、自閉症のレイモンドはウォールブルック以外に安心して暮らせる場がない。だから、300万ドルの信託基金の利益をブルーナー博士に預託して、施設の健全な経営とレイモンドへの手厚い療護を継続できるような条件を設計したのだろう。
ところが、ヴェンチャービズネスの経営危機にあったチャーリーは、そのとき、ものすごくキャッシュがほしかった。だから、息子として300万ドルの遺産のいく分かなりとも分配されて当然だと思っていた。アメリカ(イリノイ州)には遺産相続における「遺留分」という制度がないらしい。
そして、彼には、名も顔も知らない兄がいたのだ。
父親の遺言の不当性を、チャーリーはブルーナーに向かって主張した。
ブルーナーは、チャーリーの立場と感情を理解することができた。しかし、サンフォードから受けてきた恩義に報いるためには、レイモンドを生涯にわたって介護する義務を守り抜くつもりだった。つまり、チャーリーの要求には応えないということだった。いや、遺産受託者としての法的な立場としても、応えることはできなかった。