ところで、このモーテルで、チャーリーが風呂に入ろうとしてバスタブにお湯を入れ始めると、レイモンドはひどいパニックを起こした。レイモンドの言い分を探ってみると、チャーリーが3歳の幼児の頃、レイモンドが風呂の用意をしようとしてバスタブに熱湯を入れいたときに、幼いチャーリーが近づいて火傷の事故を起こしたらしいことがつかめた。
レイモンドによれば、赤ちゃんが危険だ、だからぼくは施設に行く、と決心したらしい。ということは、この事故がもとで、レイモンドは家を離れて施設に入ることになったようだ。
レイモンドは幼い弟が大好きで、その弟にとって自分が危険をもたらすかもしれないからということで、家族といっしょの生活を諦めたらしい。
■スケデュール固守!■
ビュイックは大平原の道を突っ走った。荒野の道の脇には、何もない。だが、レイモンドはいつもの時刻になると慣例のテレヴィ番組を見ると言い出した。「クイズショウが見たい」「テレヴィ裁判が見たい」と。
何とか兄にテレヴィ番組を見せないとパニックに陥ってしまう。
チャーリーは道路沿いの寒村でようやく1件の民家を見つけ出した。で、その家を訪れて、ニールゼン――テレヴィ視聴率の調査会社の最大手――の調査員の振りをして、家に入り込みテレヴィを見ようと画策した。だが、その家の主婦に怪しまれて、企みは頓挫。
そこで、正直に「これはぼくの兄なのですが、毎日決まったテレヴィ番組を見ないとパニックになるんです」と話してみると、今度はいく分不審を残しながらも、すんなりと家に入れてもらえて、しかも番組を見ることができた。
いつもアニメとかを見ている、その家の子どもたちは唖然として、レイモンドがテレヴィの前に座って釘付けになって見ている番組を眺めている。
■レイモンドの症状と才能■
チャーリーとしては財産への欲得づくの判断も混じっていたが、この先、レイモンドといっしょに生活していけば、レイモンドの症状は回復するのではないか、と考えていた。だから、施設のブルーナー博士の紋切り型の診断を信頼していなかった。
そこには、施設の代わりに自分がレイモンドの信託資産の管理者になって――つまりはチャーリーも何がしかのまとまった金を受け取って――レイモンドの面倒を見ることができる、と虫のいい見方をしていたのだ。半ばは欲に引っ張られた、判断、期待だった。だが、そこにはたった一人の兄に対して芽生え始めた親愛も少し含まれていた。
ある町で精神科の医者を訪ねて、レイモンドを診断させた。その医者は、自分はこの手の症状の診断の専門家ではない、と一応断ったうえで、レイモンドを問診した。
やはり彼の診断でも、レイモンドの状態がこの先大きく好転する見通しはないということだった。疾病者というよりも、そういう独特の個性のパースナリティを持った個人として、社会的関係のなかで適切な扱いを受けるべきだという見立てだった。
そして、記憶力や数理的な能力はまさ天才的だと言った。ためしに電卓を片手に、レイモンドに大きな数の掛け算をやらせてみた。すると、瞬時に正しい答えが返ってきた。チャーリーは、なぜそんなに演算の回答が出るのかと訪ねると、「数字の動きが見える」とレイモンドは答えた。
そういえば、チャーリーがレイモンドを連れ出したばかりのとき、あるレストランでウェイトレスが楊枝の箱を落として楊枝が床にバラけてしまったことがあった。その楊枝の本数をレイモンドは一瞬で数えてしまった。「246本だ」と。
トランプカードの組み合わせの規則もすぐに読み解き、54枚のカードの並びや順番を一瞬で整理して記憶してしまう。だから、カードゲイムではルールさえ理解すれば、レイモンドは負けることはない。
そして、レイモンドは、映像や図像のパターン記憶だけではなく、多数の要素の組み合わせや順列、数値の演算、変化の規則解析を一瞬でおこなってしまうという能力をもっている。