レインマン 目次
遺産と兄弟の愛と
見どころ
あらすじ
4台のランボルギーニ
父親の死
兄のレイモンド
  チャーリーの不審
  兄弟の出会い
  自閉症?
チャーリーの計略
よそよそしい世界
  逃げ出したスザンナ
  高速交通への拒否
レイモンドの心と才能
兄弟の絆を取り戻す
レイモンドの冒険
カジノから日常生活へ
保護権の調停審問
レイモンドの心
「自閉症」と天才
誰もが自閉症の傾向をもっている
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炎のランナー
諜報機関の物語
ボーン・アイデンティティ
コンドル

誰もが自閉症の傾向をもっている

  ところで、報道されている限りで考えると、ゲアリー・マッキノンは大人になってからも幼児性が抜けない変人・奇人・オタクであるだけではないかという気もする。人は誰でも自分が強い好奇心を抱く対象には、世間の常識による縛りから抜け出たがる傾向をどこかに持っている。
  半ばは冗談だが、たとえばUFOオタクなどの「トンデモ族」――食い扶持を稼ぐためのビズネスとしてやっている人は別――とは、概してマッキノンのようなパースナリティを持っていると見て間違いないかもしれない。一般の「世間常識」とか「通常の科学的知見」とはまったく別の次元の精神世界に生きているといえる。
  強い使命感を持つ理想家や革命家や原理主義的な宗教家なども、社会常識や他者とのコミュニケイションの能力を欠いている場合が多いのではなかろうか。

  だが、それを個性と見るか性癖と見るか、あるいは精神的病理と見るか、は個別事情によるだろう。が、私としては、その両方が当てはまると思う(まあ、他人のことは言えないが)。科学的知見とか常識は、人ごとに異なるのかもしれないから。
  というのも、その昔、アメリカ出身のプロテスタント原理主義者と話したとき、彼らが「進化論」や「地球の起源論」をまるきり信じていないということに驚いた。そういう一般知識を持っていないのだ。あるいは、知としての価値や必要性を認めていないから、学ばないのだ。
  彼らのなかには旧約・新約『聖書』の文言を信じていて、地球が神によって生まれてからいまだ1万年もたっていないという見方を強く主張する――本人がホントに信じているかは不明――者もいた。


  だが、彼らは頑迷固陋だが、いわゆる精神的病理とまではいえないだろう。いや、いえるか?
  たぶん、個性なんだろう。だが、世界中に伝道活動を展開するほどに強大な教団を結成することができるくらいには、人数が多いわけだ。

  そうすると、彼らとゲアリー・マッキノンとの違いはどこにあるのか。いや、彼らと私との間の違いは?
  日常生活で大きな齟齬や摩擦が生じない限り、どういう世界観や宇宙観を持とうが人それぞれの自由だ。だが、あの乱暴な世界軍事戦略を展開したブッシュ政権の支持基盤に、プロテスタント保守派=原理派があるのだとすれば、余りに頑なな「トンデモ世界観」は、人類社会の平穏を脅かすといえるのかもしれないが。
  いま中東や中央アジアで脅威となっているISISという狂信者集団やテロリストたちも・・・?。あるいは北朝鮮の指導部は・・・?

  とすると、精神的病理と「いわゆる正常」との境界線をなすのは、特定の判断や価値観に執拗に拘泥するのを自己抑制できるかどうか、という心性なのかもしれない。要するに「諦め」の境地だ。ほどほどのところで諦める弱さが、正常さを保つ条件かもしれない。
  ほどほどにして諦める態度とは・・・科学にしろ、宗教的世界観にしろ、人類の知見や学説(仮説)は、あまりに限られていて、最奥の真理には到達すべくもない。まして、いわんや自分がごとき小さな個人では…、という謙虚さといえるかもしれない。
  とはいえ、強烈な好奇心や使命感や信念などによって、科学や政治などのせかいで偉業を達成した人びとも多い。いやゆる「社会の進歩」――それが地球環境や人類の破滅に接近する危険性もなくはない――のためには、そういう病的性癖に近い心理や性格、心性が必要なのかもしれない。

  だが、誰しも興味や好みについて抑制が効かない場合がある。とすると、「自閉症」と「一般健常人」との境界線は、限りなく曖昧なのかもしれない。

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