リリマン司教の殺害の報を受けて、フィンチ警視は事件現場に駆けつけた。
リリマンの胸には赤いバラが置かれていた。死体には目立った傷はなかった。Vは復讐のためとはいえ、政治的目的による暗殺ということで、相手が心に恐怖をきたすことはあっても、死そのものは苦痛を長引かせることなく穏やかに訪れる方法をとっているようだ。
フィンチはリリマンの死体を検視局に運んで、女性検視官、デリア・サリッジに調査を依頼した。そのさい、リリマンの胸に置いてあった赤いバラを手渡してその花について情報を求めた。というのも、デリアは科学者としてのキャリアを植物学者から始めたからで、植物には詳しいからだった。
デリアは、「その花はスカーレット・カースンという名前です。もうずいぶん以前にその種は絶滅したと信じられています」と答えて、感慨深そうにバラを見つめた。
そのとき、スコットランドヤードの部下から電話が入って、ただちにオフィスに戻るように告げられた。
警視庁に戻ったフィンチは部下から、ラークヒル収容所で大規模な火災事故が起きたときに勤務していた女性科学者が行方不明になっていることを知らされた。つまりは、Vに殺害されたルイス・プロテーロやジェイムズ・リリマンの元同僚で、事故後、収容所を辞めてその後行方不明になっているのだ。その女性科学者、ダイアナ・スタントンもまた、Vの報復の対象となるはずだった。今、フィンチたちは、その女性を探して、収容所で起きた事件の真相を聞き出そうと考えていた。
ところが、その後の調査で、ダイアナ・スタントンは名前と職業を変えていることが判明した。改名後の氏名は、デリア・サリッジだった。何ということか、あの女性検視官ではないか。ということは、Vの次の復讐=殺害の標的となっているはずだ。Vの復讐の餌食となる前に保護しなければならない。
フィンチは、デリアの住居に急行した。
そのとき(深夜)、デリアはVと対面していた。
デリアは、昼間フィンチからスカーレット・カースン(赤いバラ)を受け取ったときに、ついに運命のときが訪れようとしていることを知った。そのバラこそ、Vの宣告にほかならなかった。
彼女は、ラークヒルの研究所で生物兵器=大量殺戮兵器としての病原ヴィールスをつくり出したことに、深い罪悪感を抱いていた。核兵器を研究開発した科学者たちが、地球上での戦争の形態を大転換してしまったように、あのヴィールス兵器は、人類に恐ろしい新たな脅威をもたらした。
しかも、その生物兵器は、収容所の政治犯たちを人体実験材料にしたばかりか、政権によって恐ろしい災厄がもたらされ、多数の人びとが殺されていったのだ。疫病蔓延をテロリズムと宣伝して、その脅威から安全と秩序を守るためという理由で、市民の権利を制限し一党独裁レジームを打ち立てたのだ。
Vの反逆と復讐劇が始まったとき、デリアはやがて自分が標的となることを覚悟した。むしろ、罪悪に満ちた自分の人生の幕を引くためには、Vの出現は待ち遠しかった。神に感謝した。
「今日、検視局でスカーレット・カースンを受け取ったのよ。ついに待ち望んでいた日がやって来たと感じたわ。あれは、私のバラ」
と、デリラはVに語りかけた。
「いや、あなたのためのバラは、ここに持って来たよ。別のバラが手元に来たのは、ただの偶然だよ。それより何より、私はすでに10分前にあなたを殺害してしjまったんだよ」
Vは、そう告げて注射器をかざした。デリアが眠っている間に毒薬を注射したのだ。
「そう。で、痛みはあるの?」
「いや、痛みは感じないさ」
「ありがとう」
赤いバラを手にしたまま、デリアは眠るように息を引き取った。
フィンチ警視が駆け込んだときには、デリアは穏やかな表情のまま息絶えていた。
けれども、デリア=ダイアナは、Vの到来=死に備えて、自分の手記(ジャーナル:日誌の手帳)を金庫から取り出してベッドの横の机に置いておいた。その手記には、収容所でのできごと、つまり生物兵器の研究開発の経過と災害事故を克明に記録してあった。すなわち、ノースファイアー政権の恐ろしい陰謀が暴く内容だった。
デリアは、自分の死後、一連の事件が暴露解明される証拠を、この世への置き土産にしたのだ。それが、せめてもの贖罪だとでもいうように。