ここでいう暴力組織とは、社会科学でいう「国家装置としての警察」とか「法的に正当化された物理的暴力としての警察」という意味ではない。政権が恐怖と抑圧による統治を推し進めるため秘密警察(政治警察)に過剰な武装と権限を与えたために、警察組織の末端が文字通りにマフィアのような暴力組織に転換してしまったのだ。
政府は市民の深夜外出(午後11時以後)を禁圧しているが、その制限時刻以降になると、夜間取締り専門の粗暴な警察官グループ(フィンガーマン:摘発者と呼ばれる)が出動して、夜の都市をわがもの顔にのし歩き、強姦や強盗、殺人をおこなっているのだ。つまりは、秩序維持を直接の目的とするというよりも、暴力そのものを専門業務とする特殊な人間集団を動かし、彼らの暴圧の恐怖を手段として人びとを威圧脅迫し、自由な活動を封じ込めているのだ。
統治の正当性や秩序維持という名目もあったものではない。
とはいえ、他方で、スコットランドヤードが統括する刑事警察組織もあるようだ。こちらの方は、法にもとづいて犯罪捜査や治安維持をおこなうのだが、法そのものが独裁政権によって抑圧的になっているのだから、この法治主義の方向もまた、政権の牽引の維持強化に向いていることは言うまでもない。
とはいえ、この武装警察はノースファイアーの権力装置の末端をなすにすぎない。
その上には、情報機関としての秘密警察がふんぞり返っている。秘密警察を指揮するのは、ノースファイアーのナンバー2で副党首のクリ―ディ。権力志向の塊のような男だ。それゆえ、党首のアダム・サトラーとはつねに腹の探り合いをしていて、互いに隙あらば追い落とそうとしている。
ずいぶん粗雑で単純な支配組織・国家組織だが、劇画が原作だから「わかりやすい」設定になっているのだろう。
スコットランドヤードは、権力装置の中枢を構成してはいるものの、秘密警察よりも格下に位置づけられている。主要な任務は刑事犯罪捜査であって、その業務の一環として、政治犯罪の取り締まりや捜査をおこなっている。Vをめぐるヤードの犯罪捜査を指揮するのは、フィンチ警視だ。
フィンチは表向きノースファイアーの指導には素直にしたがっているが、本音のところでは強硬な全体主義には疑念を抱いている。それゆえに、なぜ、どのような経緯でVが出現し反逆活動をするようになったのか、Vとノースファイアーとの関係を執拗に調べることになった。たぶん、そこにノースファイアーの謀略のにおいを嗅ぎ取ったからではなかろうか。
映像物語の冒頭で描かれるのは、400年前の事件。
イングランド王権に反逆を企てた革命家、ガイ・フォークス Guy Fawkes が王権の官憲に捕縛され絞首刑に処されるシーンだ。1606年11月5日のできごとだった。
王権は、反逆者としてガイ・フォークスを公開処刑にした。刑場に集まった群衆。ほとんど人びとは、残虐な見世物として興味本位に見物している。フォークスに罵声を浴びせる者も多い。
だが、そのなかにフォークスの妻だろうか、悲しげな顔つきで処刑台の上のフォークスを眺めている。
宗教改革からこの頃にかけてイングランドの絶対王政が確立されたと見られている。学校の世界史の教科書では「宗教改革 Reformation 」として何か社会の進歩のように描かれ、教えられるこの事件、じつは非常に血なまぐさいヨーロッパ的規模での権力闘争の一環だった。
乱暴に要約すると、ヴァティカン教皇庁とも絡んだテュ―ダ―王室の離婚紛争がこじれたのをきっかけに、王権と王権派の有力貴族たちが、ローマ教会の所領や財産を奪い取り、王権に全面的に従う――教皇庁から独立した――政治装置として教会組織を再編しようとした政治闘争だった。⇒絶対王政と宗教改革について
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