第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
この節の目次
その頃、イタリアをめぐる地政学的状況に大きな変化が生じようとしていた。この変化は、イタリア諸都市が都市国家として自立する動きを加速するとともに、将来、イタリアをめぐる域外諸王権の勢力争いを呼び起こすことになるはずだった。
11世紀からドイツのローマ皇帝――この時点では中欧の帝国は「ローマ帝国」という名称で後に神聖ローマ帝国となる――はイタリア遠征をたびたび敢行し、イタリアに強い影響をおよぼしていた。シチリア王女と結婚した皇帝ハインリッヒ6世は、12世紀末にはシチリア=ナーポリ王国の王を兼務し、こうして帝国ホーエンシュタウフェン王朝は、ローマ教皇領の南北両側を支配することになった。
ところが、教皇はイタリアと地中海の領主層や諸都市に対する皇帝の宗主権の拡張に反対し、皇帝のイタリアにおける権威を切り崩そうとしていた。
そのため教皇は、フランス王ルイ9世の弟、シャルル・ダンジュー(アンジュー家のシャルル)を抱きこんで南イタリアへの征服戦争(1265~68年)を呼び起こした。教皇庁はアンジュー家と同盟してドイツの皇帝と戦うことになった。教皇庁は、西フランク全域の聖界領地から十分の一税を徴収して戦費に充てた。
シエーナとフィレンツェの金融商人たちは、その通商組織をつうじて聖界領地から教皇庁への財貨の輸送や送金業務を担っていたが、この戦争にさいして、彼らは教皇庁とアンジュー家への貸付けをおこなった。アンジュー家がシチリアを支配すれば、通商特権を付与されるというもくろみがあったからだ。
おりしも1256年にホーエンシュタウフェン家は嫡出後継者を失い断絶した。ドイツは「大空位時代」に突入した――やがて皇帝位は1273年にハプスブルク家に移ることになる。
そのため、法観念上、南イタリアの皇帝領をシャルルが分捕ることが可能となった。1266年、教皇の招請を受けて、シャルルがナーポリとシチリアの王位を保有することになった。軍事闘争でもシャルルは、シチリア王位の継承を主張して挑戦してきた前皇帝の庶子マンフレート(イタリア王)を破って、王位を確保した〔cf. Mcneill〕。
だが、シチリア王位を獲得するや、シャルルは時代遅れの十字軍(コンスタンティノポリス遠征)の旗をふたたび振ろうとした。
このとき、ギリシアのラテン帝国はすでに(1261年)消滅してビザンツ帝国が復活していた――版図はかなり縮小していた。ところがシャルルは、以前にフランス人貴族(フランドル伯)がラテン皇帝位を保有していたことを理由に、ビザンツ皇帝位を要求してコンスタンティノポリス侵攻を企てたのだ。ビザンツをローマ教会に従属させようとしていた教皇は、この企図を支持した。
これに対して、ビザンツのギリシア人皇帝は、地中海東部へのフランク人――フランス王族――の進出を恐れたため、ローマ教会のギリシア教会に対する優越を受け入れて、教皇の支持を得ようとした。
ところが1282年、シャルルの統治に憤懣を抱いていたシチリア島住民の反乱――「シチリアの晩禱事件」――が勃発した。シチリア貴族の要請を受けて、かねてからシチリア支配をねらっていたアラゴン王ペドロ3世が来援し、アンジュー家の軍を駆逐した。アラゴンの歩兵団は貫通力の大きな弩 crossbow で武装し、接近戦にもち込む前に安全な位置から鋼鉄製鏃をつけた矢を発射してフランス人騎士の甲冑を射抜くという戦法で、騎士団を壊滅させた。
海戦でも、カタルーニャのガレー船団はやはり弩で武装し、舷側接近戦に移る前に安全な距離から弩を発射し、敵ガレー船の漕ぎ手や兵員を射殺し、撃退した〔cf. Mcneill〕。アラゴンの軍隊は、その後、ラテン帝国以来のフランク騎士団やトゥルコ軍をも打ち破ってバルカン半島・ギリシアにまで進出し、アテネ侯国を占領した。
軍事力としての騎士の没落は、すでに13世紀に地中海で始まっていたのだ。この軍事技術と戦術の転換は、ガレー船建造技術の革新と結びついて、地中海の遠距離貿易の構造転換を促進することになった。
すでに13世紀はじめ、ヴェネツィア海上勢力と西フランクの騎士団とが連合してビザンツ帝国を破壊し、ラテン帝国を樹立していた。そしていましがた見たように、神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン王朝は13世紀半ばに断絶した。
こうして、ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国という2つの帝国組織が相次いで衰退してイタリアへの圧力を失ったため、イタリアの都市国家が全面的な自治を達成しようとする動きが容易になったとマクニールは言う〔cf. Mcneill〕。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望