第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

この節の目次

1 ヴェネツィアとビザンティウム

ⅰ 地中海貿易とイタリア諸都市

ⅱ 十字軍運動と地中海貿易

ⅲ ヴェネツィアの海洋権力

2 ヴェネツィアの覇権闘争

ⅰ ヴェネツィアの権力拡張

ⅱ 地中海貿易の軍事的・政治的環境

ⅲ 通商拠点の支配

ⅳ 黒海方面での勢力争い

ⅴ ジェーノヴァとヴェネツィア

3 イタリアの軍事的・政治的環境

ⅰ 南イタリアへのアラゴン王権の進出

ⅱ 交易路の北西ヨーロッパへの拡大

ⅲ 商業をめぐる地政学的環境

ⅳ イタリア諸都市の通商活動

4 ヴェネツィアの統治構造と諸階級

ⅰ 都市統治組織(政庁)と支配階級

ⅱ 労働者階級と下層民衆

5 貿易での優位を支えた通商組織

ⅰ 航海事業の組織形態と金融制度

ⅱ 都市国家による指導と統制

ⅲ 貿易圏の拡大

3 ヴェネツィアの統治構造と諸階級

  ヴェネツィアはもともとビザンツ帝国のラヴェンナ州に属する一部族が住んでいた島嶼の集合だった。海岸線の移動による居住地の浸水とか周囲の政治的力関係によって、住民共同体としてのヴェネツィアの位置は何度も移動した。7世紀末、住民から選ばれた貴族がコンスタンティノポリスの皇帝から伯領主に叙任され、ヴェネツィアは伯領になった。
  8世紀前半、イタリア、ギリシア地方がビザンツに対して反乱を起こす情勢のなかで、ビザンツ帝国ラヴェンナ領は崩壊し、8世紀の中葉にヴェネツィアは帝国から自治権を獲得した。以後、政治への参加権をもつ住民(有力住民)の集会、すなわち全市民集会が総督 ducale を選出するようになった。
  とはいえ、政庁役職をめぐる選挙権と政治的権利をもつ市民は住民全体の1割にも満たなかった。「共和国」といわれるが、身分差別と階級格差が歴然とした社会だった。

ⅰ 都市統治組織(政庁)と支配階級

  総督やその補佐になる資格をもつ市民は、古くから市域に土地を所有し貿易を営む富裕商人層である由緒ある家系 case vecchio と、新たに上昇してきた貿易商人層である新興家系 case nuove に属する有力者たちだった〔cf. Bec〕。選任された総督には2人の補佐官がついた。
  歴代総督のなかには専制支配を打ちたてようと試みた一族もあったが、有力家系どうしの拮抗のなかでいつも挫折することになった。ヴェネツィアでは、統治権力が特定の少数家門に独占されることを防ぐために、大小さまざまな評議会や委員会が組織され、互いに牽制し合っていたのだ。
  やがて、市域は6つの行政区 sestieri に分けられ、各区の代表である総督評議員 consiglieri ducali からなる小評議会 minore consiglio が総督を補佐・監視した。この評議員は、富裕商人層からなる各地区の代表によって選出され、任期は1年だった。40人の委員からなる大評議会 maggiore consiglio が組織され、総督はいまやこの大評議会によって選任されるようになった。
  行政実務をおこなう組織も拡充され、財務ではサンマルコ財務官と会計官などが置かれた。政庁の行政に関する裁判では法務長官 avvogadori が統括した〔cf. Bec〕
  11世紀頃には、元老院 senatoriale が合議制でコムーネの統治機構を指導していた。元老院は、総督とその補佐官、大評議会が推薦した終身議員から構成された。総督以外の役職は複数の人員を配置して、相互に監視・抑制をおこなわせた。元老院議員は、案件ごとに総督評議会や財産問題担当の40人委員会、治安担当の10人委員会などを組織し、直属の官僚組織をつうじてコムーネ政庁を動かしていた。総督は最高位の官職だが、実務はおこなわない名誉職になった。
  12世紀には、総司教、司教、修道院長は都市統治や通商をめぐる政治集会には参加しなくなり、こうして政庁の統治は宗教と分離することになった。世界貿易は慣習や宗教、文化などの障壁を超えた関係を規範とするコスモポリタニズムをともなうから、政庁の統治活動から宗教が分離するのはけだし当然だったといえる。
  ヴェネツィア市内にはさまざまな人種、地域、宗教の商人が来訪、居住し、日常生活ではそれぞれの信仰や宗教的慣習を守りながら、商取引きを自由におこなうことができた。

  もともとは象徴的な最高議決機関として市民大集会があったが、この大集会の権限や機能は、富裕商人層の狭いサークルが専門化された都市統治機関の役職を独占するようになるにつれて大幅に縮小された。かつて市民大集会で繰り広げられた扇動や買収による政策や行政官の選定がおこなわれる余地はなくなったという。それは見方を変えれば、歴然たる権力の階層序列ができ上がってしまったということだ。

  コムーネ政庁の実務を担う元老院直属の官僚、つまり専門の行政官は「市公吏」と呼ばれた。12世紀後半、この市公吏=行政官の統括者として官房長職が創設され、あらゆる公的な会議や外交会議に臨席した。
  コムーネ内部の統治や海外要衝・拠点の支配をめぐっては、事案ごとに審問委員会を開いて意思決定をおこなった。こうした会議体には、市域内の各地区の代表や海外植民地の総督、監察官も参加するようになっていて、全貿易圏の要衝・拠点に配置された支配階級が統治に参加する多様な諸制度が組み合わされていたのである。
  13世紀になると、総督評議会に大評議会の代表3人を加えて、コムーネ政庁の宰領府 signorie を組織した。大評議会は、この宰領府を監視するために10人委員会 consiglio dei dieci を選任した。また、ラテン帝国にヴェネツィア人居留地区ができると、大評議会と元老院が監察使を派遣し行政を監督した〔cf. Bec〕
  やがて13世紀末からは、大評議員への選任資格は、過去に評議員を輩出した家系の子孫に限定された。こうして、政府の高官職は有力家系によって世襲化され、「貴族 patriziato 」と呼ばれるようになった。
  それは封建的な由来によってではなく、遠隔地貿易や金融を営む有力商人層のなかから、ヴェネツィアの統治に適合した思想をもち、洗練された政治感覚や統治技術、人脈をもつ専門家集団を系統的に育成する必要から――専門家育成は、公教育制度なき時代には大変に金のかかるもので富裕家系の子弟しか機会が得られないから――制度化されたものである。
  14世紀になると、緊急事態に即応し、また当時としては肥大化し複雑化した政庁を統括して治安や防衛に当たるため、常設機関として10人委員会 consiglio dei dieci が設置された〔cf. Mcneill〕
  また、この世紀の内陸への領土拡張にともなって、内陸領土には大陸領監察官 provveditore generale di terraferma を派遣し、補佐に法務官を任命した。内陸諸都市には執政官、軍総監 capitano と兵団、補佐会計官などを派遣し、諸都市の自治を監視した。
  15世紀には、大評議会が選任した6名の元老院幹事、5名の海事委員、5名の本土委員、10人委員会で閣僚会議を組織して、域外領土の統治をめぐる案件を審議した。元老院の評議員総数は120人にも達したが、彼らは専門の委員会に組織され、市域内ならびに内陸と海外領土の統治をめぐる事案について意思決定をおこなった。なかでも通商賢人会(委員会) savi alla mercanzia は大きな権限をもち、艦隊の組織化と指揮統制、兵站・補給体系の管理や財政調達などについて検討した〔cf. Bec〕

  結局のところ、富を蓄えた階層だけが枢要な政治的決定に参加し、行政手続きと駆け引きに必要な知識や技術、そして人脈、経験を蓄えていけるようなレジームだった。

ⅱ 労働者階級と下層民衆

  人口(10万~13万)の9割以上を占める庶民は、大別して熟練労働者層と未熟練労働者に分かれていた。熟練層は都市の親方職人層で、職業ごとに公的な職能組織としての「組合 Arti 」に加盟し、相互扶助や守護聖人への礼拝や文化活動をおこなっていた。
  この組合組織は、都市政治体による支配装置――政庁や富裕商人層の権威を伝達し都市秩序に包摂する機能を担う――に組み込まれていたとみるべきだ。というのは、14世紀に興隆する絹織物組合や15世紀に台頭する毛織物組合は、コムーネ(都市国家)による厳格な品質・工程の規制をすべての工房に行き渡らせる役割を担っていたからである。
  この厳しい品質・工程管理はといえば、高い付加価値を維持してヨーロッパ繊維業でのヴェネツィア商人の優位を保証する手段だった。
  とはいえ、組合組織は職人層の権利や要望を支配層に表明する装置でもあった。組合を拠点とした職人層の反乱や抵抗、交渉によって、賃金・収入は比較的高い水準を維持し続けた。そのことがやがて、大衆消費財になりつつあった羊毛製品の価格競争力を弱め、高級消費財としての絹織物への特化をはかるという転換をもたらすことになった。

  一方、豊かな都市経済は周囲の諸地域から、仕事(収入の道)からあぶれた民衆をも引き寄せた。こうしてヴェネツィアに居住するようになった下層民衆のうち、貧しい層は「海のプロレタリアート」と呼ばれ、零細な運送業者、荷揚げ人足、水夫、小舟の漕ぎ手などとなって、未熟練労働者の最下層をなした。彼らはいかなる組織にも組み込まれず、相互の扶助・保障もなかったという〔cf. Braudel〕
  ここでも、都市は貧富の格差が大きい情け容赦のない階級社会だった。政府も、政治共同体のメンバーのあいだでの商業利潤の分配における格差の是正を意図したが、その視野からはずれた社会階層については、暴動や争乱の危機の恐れがないかぎり、どれだけ貧困であろうと問題にならなかった。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望