第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
この節の目次
こうして遠距離商業が旧来の帝国秩序を内側から食い破り、地中海の変貌が始まりかけたとき、十字軍の騒々しい足音が近づいてきた。
十字軍運動が大規模に始まった時期、11世紀末は、北イタリアの諸都市に足場を築いた有力な商人グループのあいだに地中海世界で自らの経済的・政治的勢力を拡大しようとする競争が始まった時期と重なる。これは偶然だろうか。十字軍運動は、都市を支配し始めた勢力にとっては、すでに蓄えた経済力を基盤として、地中海商業を根本的に再編成していくためのチャンスとなったようだ。
この構造転換のなかでは、とりわけジェーノヴァとヴェネツィアの伸長が目を引く。
十字軍、観念的には宗教的熱狂に衝き動かされていたこの運動は、地中海東部に向け遠距離にわたって情報や人間集団の移動と軍事活動が組織され、兵站線や補給経路が組織された征服活動であった。それはヨーロッパの聖界俗界の領主層に指導された戦役や植民活動ではあったが、商業の地平を拡大し、地中海貿易圏の拠点を築こうとする北イタリア諸都市の活動と重なっていた。
というのも、聖地レヴァント地方は、アジアの香辛料や絹織物、高級ワインなどの奢侈品が地中海とヨーロッパに手渡される中継地だったからだ。実際、十字軍の踏み荒らした道筋がそのまま交易経路に吸収されたように見える。また、民衆の宗教的情熱と冒険心が結びついて盛んになった巡礼は、遠隔地間を結んで高度に組織された経済的事業だった。巡礼旅行の道は、交易路に沿って用意された。十字軍の兵団や巡礼者たちに輸送手段や補給経路、宿泊施設を提供したのは、北イタリア諸都市の商人たちだった。
十字軍騎士たちをパレスティナに運び、征服活動のための補給経路を組織したのは、主にピーサなどの北イタリア諸都市の海運と商人だった〔cf. Bec〕。
十字軍は、重装騎士の突進戦法で敵陣を蹂躙して支配地を広げ、レヴァント地方には11世紀末からイェルサレム王国、トゥリポリ伯領、アンティオキア公国などの諸侯国が出現した。十字軍君侯たちは、形式上はコンスタンティノポリスの皇帝に臣従していた。彼らはイスラム勢力に対する戦線を維持するために、北イタリア諸都市に軍事的・経済的援助を求めた。
北イタリア諸都市は艦隊を派遣し補給経路を確保したが、それと引き換えに、掠奪品の分配もさることながら、商業上の特権とシリア海岸の主要な港の居住区を見返りとして要求した。それは、交易をめぐる競争で優位を得るための足場となるべきものだった〔cf. Rörig〕。
小アジア(アナトリア)での勢力争いで、最初の数年間はジェーノヴァが優位に立ったが、やがてヴェネツィアが最有力となり、レヴァント地方の港に常駐拠点を設けて、長期間にわたり最大の利益を引き出すようになった。なにしろ、レヴァント貿易でのヴェネツィアの最優位は、ビザンツ帝国全域での商業特権とコンスタンティノポリスに商館を置いたことによって保証されていた。富の集積地に、つまり商品を最も高く売ることができる地点に交易拠点を組織していたのだ。
豊かな地中海はしかし、十字軍だけでなく、フランク王国から傭兵としてやって来ていたノルマン人騎士団をも引きつけた。11世紀半ば以降、ノルマン人騎士たちが地中海各地に進出した。1056年にはロベール・ジスカールが騎士団を率いてイタリア南部とシチリアを征服し、支配するようになった。
ノルマン=フランクの重装騎士たちは、密集突撃戦法によって地中海沿岸・島嶼の軍隊の防御線を簡単に打ち破り、南イタリアからバルカン半島におよぶ地中海沿岸を制圧して、ダルマティア沿海水運を足場にビザンツ帝国への侵入を企てていた。アドリア海の出口を扼するフランク人に対して東地中海域の遠距離交易の自由を守ることは、ヴェネツィアにとって危急の課題となった。
ヴェネツィアは、その卓越した船舶輸送能力と艦隊の戦闘能力によってノルマン人をビザンツ帝国の要部から駆逐するにさいして、コンスタンティノポリスの皇帝にビザンツ防衛の高価な代償を請求した。
1080年頃、南イタリアにノルマン騎士団が進出し、帝国の脅威となって以来、ヴェネツィアの海軍力は、帝国の防衛にとって不可欠のものになった。ヴェネツィアの政策は、この軍事的支援と引き換えに、ビザンツ帝国の版図における商業活動を拡大するための特権を得ようとするものだった。
1084年には、ヴェネツィアはロベール・ジスカールを撃退した功績によって、皇帝から帝国全域におよぶ商業取引きの自由権を得た。コンスタンティノポリスやエーゲ海諸島をはじめとする帝国域内の港湾・商業拠点に出入りするヴェネツィア人は、一般関税を免除された。さらにビザンツ市内で交易拠点として有利な建物と土地を買い取る権利を認められた〔cf. Rörig〕。
海上覇権を獲得したヴェネツィアにとって、軍事的・経済的に無防備なビザンツ帝国はどこにでも侵入し、定着し、戦略的拠点を築くことができた。レーリッヒによれば、こうしてビザンツ帝国のレジームは、遠いシリア海岸の十字軍諸侯領におけるヴェネツィアの地位を維持するための側面掩護を提供し、兵站地を用意した。この点が、他の北イタリア諸都市には欠けていたという。〈ヴェネツィア人は、シリア海岸のいたるところに堅固な拠点を築き、その勢力圏の南端をイスラムの有力者たち、たとえばエジプトのスルタンとの直接交渉で巧妙かつ大胆に保全する手管を心得ていた〉〔cf. Rörig〕。
あまつさえ、ヴェネツィア人はサラセン人にも直接・間接に軍需品を供給してしたたかに利益をあげていた。
とはいえ、ビザンツの歴代皇帝のなかには、ヴェネツィアの商業権力に抵抗するために、そのライヴァルたちに有利な地歩を提供しようとする者もいた。1101年に皇帝アレクシウス1世は、十字軍騎士の遠征を支援したピーサの商人たちに帝国での商業特権とコンスタンティノポリスの居留地を与えた。1157年には、ジェーノヴァ商人にも商業特権が与えられた〔cf. Bec〕。
だが、長期的スパンで見ると、帝国の軍事的防衛に深くかかわるヴェネツィアは、兵員を輸送する艦隊や補給体系の組織化・運営を担い、その見返りとしてさまざまな特権を獲得していたから、その通商上の最優位はくつがえらなかった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望