第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
この節の目次
話をイタリアと地中海世界に戻そう。
遠距離貿易での大量の、あるいは高価な商品のやり取りに付随する決済に対応して、貨幣資本のやり取りを専門におこなう業務分野も発達した。それは専門の商人、商事会社として組織運営されることもあれば、莫大な決済金を動かす巨大な商事会社の1部門として組織されることもあった。
とにかく、商人たちの手許に蓄積された利潤は、ふたたび冒険的通商や製造業、都市施設の建設などという経済活動に投下された。織布製造などの手工業に与えられた前貸信用――生産物の引渡しを条件とする原料や材料の前渡し――の多くは、遠隔地に向けた商品の拡大再生産を誘導した。
また、都市の城壁や倉庫、商業施設、舗装道路、公共建築物、豪壮な住宅などは、富裕商人階級の権力を誇示するとともに、インフラストラクチャーとして商業活動と製造業――彫刻や絵画、装飾などの芸術も含まれる――の成長を促進した。
その頃、北イタリア諸都市の有力商人たちは大商事会社 compagnia / sosietà をつくりあげ、その支店網をつうじて地中海とヨーロッパ各地を結ぶ大規模な遠距離貿易を統制・組織化していた。南イタリアの王国に食い込んだフィレンツェのバルディ家やペルッツィ家は、遠距離貿易と金融ネットワークを組織して、各地の製造業や農業を支配した〔cf. 清水〕。
彼らは、シチリア産の上質のオリーヴ油とワインを中部・北部イタリアやアラゴン、カタルーニャにもち込んで販売した。また、シチリアの小麦、遠くは黒海方面(クリミア、ワラキア)から穀物を北イタリアに輸入した。さらにイングランド、ブルゴーニュ、エスパーニャ、プロヴァンスの羊毛を買い付け、フランデルン、ブラバント、フィレンツェ、北フランスの諸都市の毛織物製造に供給した。そしてフランスの麻織物をイタリア、小アジア、レヴァント方面へ売りさばいた。
奢侈品貿易としては、オリエントの物産、絹、木綿、宝石、砂糖、染料、胡椒・香辛料をヨーロッパ各地にもち込んだ。各地の製造業に必要な金属の卸売貿易も手がけ、ロンドンでコーンウォールの錫を買い付け、ブリュージュでスカンディナヴィアの銅を調達し、サルデーニャの鉛を買い取った。ドイツの金属製品や武器も取り扱った。
このような商業活動のために、イタリア商人たちは、各地の君侯・領主から商業特権を買い取った。特権と見返りの税や賦課の支払いは、商業利潤の分配に君侯・領主を参加させ、財政的に従属させるということを意味した。この時期には、商業資本の権力と対等以上に渡り合えるほどに頭抜けて強大な君侯権力はまだ出現していなかった。
イタリアの諸都市国家は、地中海貿易の覇権を競い合い、ヨーロッパ全域に交易網をつくりあげながら、それぞれ独自の政治体として成長していった。都市の政治的権力が強まるとともに、地中海貿易での競争も激しくなった。
マクニールによれば、およそ1280年から1330年までの期間に、地中海の造船技術、そしてそれと結びついた軍事技術の変化とともに、ヴェネツィア人は航海と貿易の組織形態を徹底的に組み換えてしまった、という〔cf. Mcneill〕。この新たな組織形態は、ヴェネツィアという都市政治体の特殊な構造を支えると同時にこの構造によって支えられていた。
貿易は、武装ガレー船団を組織した冒険的な航海事業として営まれた。通商競争は武力による敵対を内包していたから、強力な財政能力と武装能力を備えたヴェネツィア、ジェーノヴァ、ミラーノ、フィレンツェが勢力を拡大し、そのほかの弱小都市の地位は後退し、有力な諸都市による領域支配への併呑の対象になっていった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望