第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

この節の目次

1 ヴェネツィアとビザンティウム

ⅰ 地中海貿易とイタリア諸都市

ⅱ 十字軍運動と地中海貿易

ⅲ ヴェネツィアの海洋権力

2 ヴェネツィアの覇権闘争

ⅰ ヴェネツィアの権力拡張

ⅱ 地中海貿易の軍事的・政治的環境

ⅲ 通商拠点の支配

ⅳ 黒海方面での勢力争い

ⅴ ジェーノヴァとヴェネツィア

3 イタリアの軍事的・政治的環境

ⅰ 南イタリアへのアラゴン王権の進出

ⅱ 交易路の北西ヨーロッパへの拡大

ⅲ 商業をめぐる地政学的環境

ⅳ イタリア諸都市の通商活動

4 ヴェネツィアの統治構造と諸階級

ⅰ 都市統治組織(政庁)と支配階級

ⅱ 労働者階級と下層民衆

5 貿易での優位を支えた通商組織

ⅰ 航海事業の組織形態と金融制度

ⅱ 都市国家による指導と統制

ⅲ 貿易圏の拡大

4 優位を支えた通商組織

  地中海貿易圏でのヴェネツィアの優位は、どのような仕組みをつうじて打ち立てられていたのだろうか。
  なによりも目を引くのは、その海軍力=艦隊だ。海軍力を支えていたのは、すぐれた輸送能力と戦闘能力を備えた武装船舶の製造技術・生産能力と乗組員の組織形態、そして航海の運営組織であった。

  1104年、政庁は造船廠 arsenale を創設し、重武装の軍船と軽武装の商船を区分して造船工程を標準化した〔cf. Bec〕。ヴェネツィアは、この「国営」の造船廠で標準型の船舶を大量生産することができた。
  この船舶は、すぐれた戦闘性能と航海性能をもつように設計されたガレー商船 galere de mercato で、部品や装備を標準化することで部品交換による修理や艤装を簡単にした。ゆえに、短期間に多数の軍艦を建造し配備することができ、計画的・集中的な用船を可能にした。造船廠では分業による専門化と集権的な労働指揮によって技術と能率を高めていた〔cf. Braudel〕

  艦船の漕ぎ手はヴェネツィア市民であったが、彼らは武器を巧みに操る訓練された兵士であるとともに、交易の才に長けた商人でもあった。寄港地や遠征先では必要な物資を巧みに調達し、場合によっては武力にものを言わせて掠奪することもあった〔cf. Mcneill〕
  どこかの寄港地で入手した商品を次の寄港地で転売して利潤を得ることもあれば、ヴェネツィアに持ち帰ってヨーロッパに売りさばくこともあった。戦闘や航海で獲得した戦利品や利益は船員とヴェネツィア市住民に分配された。

  海戦では兵員と武装艦船が短期間に集中的に投入された。戦役はヴェネツィア・コムーネ財政に大きな負担を負わせるようになったが、その解決策として公債制度による戦費調達がおこなわれた。公債は、戦役と戦役とのあいだの期間に償還金額を均等配分して出費を平均化し、計画的な資金管理・調達を可能にした。
  そのさい、艦隊の遠征はいわば国家的な営利事業として運営された。当時の航海事情として、商業用船舶は奢侈品輸送にたずさわるがゆえに武装船舶だった。
  ガレー船(船団)はコムーネの公有、つまりいわば国有だが、その航海事業としての運用権は、一定期間ごとに競争入札で市民たち――航海事業のために共同事業団体 cogestione を結成していた――に譲渡された。運用権の期限付き販売や用船、運用などについての規則を制定したのは、法規秩序賢人会 savi alli ordini という組織だった。
  こうして、コムーネ政庁の統制のもとで、武装船団による貿易=航海を組織化し運営する共同事業団体が住民各層から出資を募り、貿易=航海事業を指揮・計画したのだ。
  資産のない市民でも、船に乗り込み冒険航海に参加することで、一山当てることができた。航海の結果得た利潤は、出資額に応じて市民に分配された。出資者は、遠距離交易にたずさわる富裕な商人から寡婦や下層住民にまでおよび、額の大小の差はあっても、投資への参加機会での差別はなかったといわれる〔cf. Braudel / Mcneill〕
  市民権をもつヴェネツィア住民だけがガレー船に商品を託す権利を認められた。また、貴族だけがガレー船団の航海指揮権を入札することができた。漕ぎ手や弩の射手たちも手持ちの商品や通貨で小口の交易をすることができた。

ⅰ 航海事業の組織形態と金融制度

  12世紀のはじめには、複数の商人が提携し、出資金を分担し、全員が連帯して活動し、利潤と損失を出資額に比例して配分する会社組織をつくるようになった〔cf. Bec〕
  商人や金融家は1航海ごとに、あるいは一定期間継続して会社や事業体を組織し、コムーネの要請に応じて航海への投資を募った。市民や乗組員はどんな額の投資もでき、航海の成功ののちには収益を受け取ることができた〔cf. Mcneill〕。船舶は競争入札をつうじて何人かのパートナーによって落札・共同所有され、彼らはそれぞれ船倉を何カラットか保有していた。
  船に積み込まれる商品は、出資金を募集した金融商人から前借りして調達された。こうして、ヴェネツィア商人の交易組織の中では、銀行と商業信用が制度化されていたのだ。
  航海事業ののちに利益配分として出資者である市民たちに還元された利益は、ふたたび冒険航海に投資され、遠距離貿易事業の拡大再生産に振り向けられた。商取引きによる利益は再投資を重ねていき、資本として蓄積されていった。
  こうして、早くも12世紀末期頃から14世紀にかけて、ヴェネツィア商業資本はヴェネツィア政庁の都市統治体制を権力の砦として組織運営し、市域を中心として多くの交易拠点を築き上げて世界貿易のネットワークを管理し、資本としての貨幣の経済的運動を促進する諸制度を形成していった。

  市域内では定期市が開設され、商店、倉庫、兵器廠、税関が設営された。金融組織も発達した。
  ことに遠距離交易での商品交換にともなう決済のために、両替商や銀行家は記帳による口座振り替えを開発した。これは、大規模な取引きでは手間のかかる貴金属貨幣での決済を待つまでもなく、帳簿上で金額を口座から口座へ振り替えることで商人どうしの取引きを即座に決済するすぐれた方法だった。信用のある商人のなかには、当座借越ができる者さえいた。
  銀行家は、利殖のために委ねられた預金で投資や投機をおこなうこともあったし、政庁発行の公債を買い入れる場合もあった。投資のためさまざまな商品の取引価格を形成する取引市場が創出された。リアルト橋の相場師の会合によって、商品の相場が、やがてはコムーネ政庁の公債の相場が定められた。海上保険の料率もこれらの会合が取り決めるようになったという〔cf. Braudel〕

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望